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Q「生きるとは?」 もらった返事

スゴミのある表題となってしまいました。

30代の頃、私は「我が道を行く」生き方を選択し、昼間はWEB関連のライター、夜は酒場でピアノを弾くという生活をしていたときがありました(音楽の方面を目指していたので)。そのとき、あるクライアントからサイトに掲載する記事執筆の仕事を受けました。教会のwebサイトでした。ミッションはざっと言うと<私>個人の色味はどうでもよく、牧師様の存在感を前面に、この教会にこんな牧師様がいる、という風にしてほしいとのこと。

まずはどんな教会なのか、どんな空気なのか、色味なのか、直接体感したく、現地へ赴き牧師さまとランチをとりつつ取材なるものをさせて頂きました。

小さな無人駅からその教会までの道のりを周囲の空気を感じつつてくてく歩き、庭の落ち葉を拾ったり、手に触れたり匂いをかいだり、教会のたたずまい、エントランスから祭壇に向かってまっすぐ伸びる主廊、高い窓から教会に差し込む陽光や片隅のオルガン、見上げる天井などなどあらゆる物に見入っては記録に残すため写真に収めました。

私はキリスト教信仰者ではないので、牧師様との会話や目に入るもの全てが印象深かったものです。

クライアントの担当者から牧師様は文章を書くことは好きだと聞いていたので、僭越ながら私なりにキーだと判断した5つの言葉(漠然としたもの)をお題として提出しました。その言葉から連想したこと、感じたこと、何でもいいし重複しても構わないので全てを吐き出すように書いて下さい、と依頼しました。

そのうちの一つが「生きるとは?」でした。

牧師様とは原稿や連絡のやり取りはメールで行っていました。問いに対し真摯に向き合ってくださり、一つずつ書いては長い原稿が添付送信されて来て、全てが揃うまでには小一ヶ月掛かったかと思います。時間をかけ、深く考えた上で書き綴っていると感じました。中には文末に「・・・今日はここまで。疲れました。」とあることも。そして5番目に送られてきた「生きるとは?」についての文章。個人的にどんなことをお書きになるだろう、と注意が向いていたのは事実です。

A4に2枚近く、3000~4000文字程でしょうか。長い文章ではありましたが、その中で要所だと思われる一文が「生きるとは周囲のものを生かすこと・・(略)・・自ずと自身が生きてくる」でした。

私は妙に納得というか安心してしまいました。「ああ、そうか」と。凄く頑張るとか、一生懸命にやるといった力むようなことではなく、もっと自然で、温和で、ゆったりとしたことなんだな、と思えたのです。自分はこうしなきゃ、ああしなきゃ、といった「自分は、自分は、自分は」という姿勢は置いておいて、ちょっと立ち止まって見てごらん、耳を澄ましてごらん、傍にいる人を感じてごらん、そして自分がどんな所に立っているのか知ってごらんなさい、と言われたような感触でした。

置かれた環境、周囲で一緒にやっている人たちが持っているものを生かす。自ずと自分も生きてくる。

時には自ら「自分はこうだ」と主張することが必要なのはもちろんですが、今は寿命も延びて長く<生きる>ことになるので、やはり心身には持久力が求められます。力んで生き続けることはちょっと私には困難かな・・・。

器用さや瞬発力に欠ける上、まだこれからも長く生きるであろう私の中で優しくも、力強い思考として根付いています。





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