見出し画像

ある早朝② 地をなめる炎のごとき朝焼けに 背の彼方先 炎山を思う

 タイトル長くなった……。下手の長糸ならぬ、ヘボの長タイトルで恐縮です。センスのいい人になりたいなぁ。

前回はこれ。

 私が乗った始発バスの行先は、東であったから、まさに夜明けに向けて走っているようだった。よく晴れていたから、実に見事な、燃えるような朝焼けだった。その朝焼けに目がけてバスが突進していくかのようだった。
その燃えるような朝焼けを見ていて、学生の頃に旅した西域を思い出した。 GO! GO! WEST!とばかりに北京からシルクロードを走る列車に乗ったのだった。当時の終点のウルムチで降りて、翌日、火炎山を目指して、ウルムチからちょっと東に後戻りするトルファン行きにバスに乗った。話が長くなるから端折るが、その道行きで、たくさんの「マジか」と出会った。その旅全体が「マジか」の連続ではあった。
 ちょっとセンチメンタルな気分になった。もう大昔のことで、まだ何者でもなかった学生だった私は、今もまだ何者でもない。例え一介のリーマンであっても何者かになれる人もいて、いつまで経っても、どうもがいても何者にもなれない人間もいる。端から見れば何者かにちゃんとなっているのに、自分の中では何者でもないと感じている人もいる。意外とそういう人は多いのかも知れない。
 西方浄土という言葉があるが、東方は何なのだろう。穢土なのか。苦界なのか。死んだら向かうのが浄土なら、西があの世で、東はこの世か。

 旅をするというのは、小さなものであっても、心が揺れ動くものなのかもしれない。
(私は旅(これ)を求めていたのかもしれない)
 そう思った。森へ行きたかったのは本当だが、心のもっと奥底には、旅するということへの渇望があったのかもしれない。
そもそも、旅というのは、人類の本能から発する行動なのかもしれない。人類は、食料や水を求めて、安全を求めて、生存のためにアフリカから万年も何世代もかけて旅して、地球上のあらゆる場所に分布していった。だから、旅は人類の本能なのだ。
 だが、現状を維持して危険を冒さないというのも、人類の本能だ。生きるための本能だ。ゆえに定住したいと願うのも、今いる場所にしがみつくのも、また本能なのだ。
 矛盾しているけれど、生き残っていくには、変化する環境や状況に応じて柔軟に対応しなければ、環境や状況に負けて種が絶えてしまう。だから、旅と定住、移動と不動、変化と維持――そういう相反する生存本能が人の中に同時に存在する必要があるのだろう。

 高速に乗ったバスは、意外とガタガタと揺れた。もっと滑らかに走るのかと、旅慣れない私は勝手に思っていた。
 その意外な揺れに、今度は十余年前の大震災のことを思い出した。
震災当時とその後も、身内が仙台の病院に入院中であったから、実家から仙台まで高速バスを利用した。そのことを思い出した。一体、実家のある町から仙台まで何往復したことだろう。高速自動車道は痛んでいて、たまに派手にガタリと跳ねるように揺れた。
 仙台までのバス路は、ほんの2時間ほどであったが、それでも旅であった。
 震災直前の事ども、直後の事ども、それからしばらくの間の事ども……。いろんなことがあり、いろんな感情に撹拌され、右往左往もしたし、ただ呆然ともしていた。そんな時期だった。
 学生の頃の西域への旅と同じく、言い尽くせない、言い表せないことがたくさんあったのだ。

 実は、私はあまり旅行をしたことがない。実家へ東京から新幹線で、それこそ数え切れないほど往復したし、若い頃は語学留学の真似事もした。
 だが、純粋に旅行をしたことがほとんどない。身内の付き添いで旅行したことが2、3回あったが、旅行とカウントするのには違和感がある。見た目はどうであろうと、付き添った本人はどう思っていたのであろうと、私は義務感からの行為に過ぎなかったから。
 私は、どんなものであろうと旅に出るには、必ず名目があった。名分があった。自身が楽しむためのものであったことは、実は一度もないと言っても過言ではない。
 なぜそうなのか。原因も理由もわかっているが、ここでそれを長々と書く必要はないだろう。たぶん、つまんない。うざい(お前の書いている文章のすべてがそれだという突っ込みは、ちょっと置いといてください)。自分自身、「それ」を反芻したくない気持ちもある。

そんな事どもをバスに揺られながら、眠気がくるまでずっと考えていた。

 ……さて、帰りはというと、見事に爆睡であった。慣れない早起きをしたからね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?