世渡り戦 制す「戦術書く兵器」
カクはカクでも今、使うのか否かと世界を怯えさせている「核」の方ではなく「書く」の方は、平和的な個人能力兵器のお話。
『○○のための書く技術』『△△文章術』などという書籍やハック系記事をよく目にする。就活や仕事、ときにプラーベートと多岐にわたり、世渡りのための技術として文章の書き方を指南する内容だ。
確かに文章ベタより上手な方が読んだ相手に好印象を与える。内容が棘や毒のあるもの、不快感を与えるものでない限りであるが。もっとも、棘も毒も不快感を与えない文章に落とし込むことも《書く技術》ではある。
以前、自己PRの書き方のレクチャーを受けたことがあるのだが、講師の先生は「真面目ということを自己PRとして書くな」と言った。無難すぎて面白くないから読まれないという。個性がないと見做されるとも言った。
私はちょっと首を傾げた。(そこは書き方次第だろうよ)と。
例えば、就活の自己PRとして、個性を強調するものを書こうとしたとする。個性と言っても、応募企業や職種から外れたことを延々と書き連ねても的外れもいいところで、かえって「こいつ、なんかズレとる」という印象を与えてしまう。
実のところ、就活において自己PRとして使えるネタの範囲は狭いのである。常識から逸脱せずに、悪目立ちせず、でもネガティブにはとられないように……となると
「○○の部活を続けてきて、体力と根性には自信があります。チームで活動することで、協調性も学べました」
「××資格を取得しました。この業務に役立つと思われます」
「笑顔を忘れないことを心がけています。1日の大半を一緒に過ごす同僚の皆さんと快く仕事したいです」
例としては、こんな感じになる。
やっぱり、没個性気味になる。あるいは上っ面。まあ、没個性、上っ面でもいいと思うんだよ。それが求められている企業や仕事はあるんだから。
真面目ネタだって、極端な例だが、こういう持っていき方もある。
「私は真面目な性格です。ビジネスは信用が大切です。私のこの性格は、お客様から信用を得るのに役立つと考えています。真面目でこれまで、悪いことはありませんでした。勉強も真面目にしますし、友人にも信頼されています。ただし、困ったことが一つだけあります。
私の真面目さは食事の際にも表れます。残したらいけないと、真面目に完食します。おかげで体重が増えやすく、ダイエットするのですが、真面目なのですぐに痩せます。でも、真面目なので出された食べ物は完食します。そしてまた太ります。それが悩みの種です」
くそ真面目で固くて面倒くさいヤツかもしれんと思わせておいて笑いを持ってくる。こいつ、案外柔軟なところもあるなと相手に思わせればOKである。ただし、この戦術は応募先が限られてはくる。この手は通じない。
そう言えば、前出の講師先生は、自己アピール文も面接も「落とす」ことを前提にしていると言ったっけ。大量応募のある新卒事務系の就活ならそうならざるを得ない側面はあるだろうけれど、アピールベタだが実は超使える人材を見落としかねないから、それもまたリスキーな採用戦法だなあと思ったっけ。
書く技術は、確かに社会で大いに役に立つ。だが、小説などのストーリー性のあるものとなると、また話がちと変わってくる。技術的には非常に高いが、クソ面白くねぇ小説やエッセイってよくある。ちょっと文章が稚拙だが、面白い話ってのも結構ある。書かれていることがまったく理解できないほどの文章は論外だが、そうなると、「書く技術」とか「文章力」って、どこか歌唱に似てないか? と思えてくる。
音程が絶対にぶれずに、発声も滑舌も良く、声の質も良い。メリハリもあって、情感もあって、総じて上手い。が。何だか物足りない。あるいは心に響いてこない。楽曲やジャンルの好き嫌いでもない。そういうことがある。
逆にたまに音程怪しいし、声も良い方ではない。発声も滑舌もイマイチなのだが、妙に味がある。心に届いてくるものがある。好みの楽曲であるとかジャンルであるとかいうのとも別だからでもない。そんなことがある。
なんでなんだろう? たまに考えるのだが、今もって結論に達しない。
そう言えば、トップ画像にあるように「ペンは剣よりも強し」って言葉があった。「書く兵器」は「核兵器」より強いかどうかわからないけれど、少なくとも安全である。
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