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「はい、論破」ロンパカパッパロンパッパ♪ 芋づるメロディー ああ昭和人

 ――ひろゆき氏が保育園の先生だったら?
 そんなIFを思いつくに至るまでには、長い長ぁ~い思考の芋づるがあった。

 前々回の記事に一反木綿の名を出しましたが、そこから、ふと、ねずみ男が思い出され、ねずみ男から高校時代のあだ名→別のあだ名→加トちゃんケンちゃん→ビートたけし→子供受け……と本人にしかわからない脳内記憶が芋づる式に出て来ました。子供時代から思春期時代(あ、大人になってからもか)よく子守をさせられましたが、昔は加トちゃんケンちゃんやビートたけしの真似をすると子供受けしたなぁと思い出し、そこで(はて? 今は何が子供受けするんだろう)と考えた。……結論「ひろゆき」か!
 「はい、論破」「それって、あなたの感想ですよね?」ってのが子どもたちの間で流行っているとか。
 そして、この記事の五七調タイトルとあいなりました。
  「はい、論破」→ロンパカパッパロンパッパ♪ 
 懐かしい。ロンパールームの歌だ。ケロンパが歌っていた。ケロンパことうつみ宮土理先生と幼児たちが楽しく過ごす番組なのだけれど、おやつタイムが実に魅力的で、自分もこの番組(おやつタイム限定)に出たいと切に思ったものだった。
そこでまた芋づる思考。
 ――ひろゆき氏が保育園の先生だったら、どうなるんだろう? あるいは、ひろゆき氏を先生に「ロンパールーム」とか「おかあさんといっしょ」とか「ひらけポンキッキ」とか「おはようこどもショー」のような子供(幼児)番組をやったら、どうなるんだろう?
 ひろゆき先生が理屈がわかる幼児を論破するのだろうか? 理屈もへったくれもない幼児をどうやって論破するんだろうか? いや、子どもたちが、ひろゆき先生を論破するのか?
 そしてまた思考が芋づる。
 ――「アタシの感情がルールブック」な人相手に、ひろゆきの「論破」系は通用するのか?
 感情を撒き散らしている人に「それってあなたの感ですよね」と言ったところで、自分の感情がルールブック、法律、正義な人には意味を成さない。だから何? って話だ。「はい、論破」に至っては、そもそも「論」も「ことわり」もないのだから、論破に至る端緒の議論がない。論がないんだから。

 そう考えると、子供が「論破」や「それって……」を言える相手っていうのは、「論」や「理」の通じる人ってことなのだ。つまり理性があるってことだ。お父さん、お母さん、お子さんがあなたに向かって「論破」「それって……」と言ってくるのは、あなた方の理性と理論性を信じているからと言えなくないですか? ということで、お子さんにそれらを言われたら、デコをちょっと突っついて笑い飛ばしてくださいな。ご注意いただきたいのは、デコはちょい突くとか、押すとか程度にして、デコピンはやめましょう。そういう口の立つお子さんは、デコピンなんてしようものなら「虐待だ!」と切り返してくるでしょうから。めんどくせぇから、ピン! したくても、そこは柳のように受け流しましょう。

 ところで、このひろゆき語の子供受け現象ですが、上述しましたとおり、案の定、大人たちには一般的に不興であるそうで。そう「案の定」です。
子供の流行って、得てして大人に鼻白まれるものが多い。古くは加トちゃんの「ちょっとだけよ」とか、NHK人形劇『新八犬伝』の「いざとなったらたまを出せ~♪」とか、ビートたけしの「コマネチ!」とか、氷川きよしの歌う「やだねったら、やだね~」とか、ちょっと前だと日本エレキテル連合の「だめよ~だめだめ」とか。
 子供流行には、大人が嫌がるものになぜか反応して流行ってしまうという現象があるそうです。忖度がないんですかね? いや、子供にも忖度――親を含め大人の顔色を窺うといった方がいいか――はありますけども、どうも、これら子供流行は、子供にとってはちょっとアングラっぽい粋がりというか、「うっしっし」と密かに悦には入るようなところがあってイイらしんですね。ん? それってちょい下品な、あるいは寒い親父ギャグと共通点があるような、ないような……。
 今度はおやじ方面に思考の芋づるが生じそうなので、この辺で止めておきます。

(余談)
余談というか、不要談かも……。
タイトルの「昭和人」は「しょうわびと」と読みます。
タイトルにルビをふれないんだもの。しくしく💧💧


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