映画「コララインとボタンの魔女」における食事

糸賀寛

はじめに

 「コララインとボタンの魔女」(2010年)はスタジオライカが初めて制作したアニメーション映画で、3Dとストップモーションを組み合わせた画風が特徴だ。
 新居に越してきた少女コララインは、仕事の忙しい両親が構ってくれない上に、引っ越したばかりで友達もいない。そのため日々を鬱々と過ごしていたが、ある日、新しい家に開かずの扉があることに気がつく。見つけた鍵でそれを開いた時、彼女は魔女の支配する異界へ足を踏み入れていた。夢のようなその世界は、彼女の願いを叶えてくれるのだが……。というのが導入で、作品はコララインと魔女の対峙が中核をなす、冒険ファンタジーである。
 この作品には高い頻度で食事や食べ物が登場し、物語を展開させたり、キャラクター同士の関係を仄めかしたりして重要な役割を担っている。本稿では食事や食品に関わるシーンを取り上げ、具体的にどのような機能を持っているかを考察した後、食事を梃子に作品の主題にも言及する。なお、引用およびページ数はニール・ゲイマン「コララインとボタンの魔女」金原瑞人/中村浩美訳(2010年1月角川文庫)に拠る。また当作はAmazon primeで視聴可能である(2022年6月時点)。

1.厭わしい食べ物

 「コララインとボタンの魔女」において主人公のコララインは度々、他のキャラクターから食事・食品を提供されるが、それらは彼女が食べたものと、食べなかったものに二分できる。ここでは彼女の食べなかった食品について列挙、分析する。
 作中、初めて食事が行われるのは家族で晩餐する場面で、コララインのパパが奇態な食事を作って娘と妻に提供する。出された料理は形状崩壊した不快な見た目で、食欲の減退したコララインは「スライムみたい」と形容して食べようとしない。
 次の食品は、コララインがボビンスキーの部屋へチーズを届けたシーンに登場する。そのチーズは、ボビンスキーの飼っているネズミの餌であり、彼はネズミたちにサーカスの芸を仕込んでいる。このようなキテレツな話を聞かされたコララインは、ボビンスキーの正気を多少疑っていて、彼からもらったビートを気味悪く思っている。その結果、ビートを食べずに捨てる。
 ボタンの魔女が本性を表した場面では、彼女から虫を食べるよう勧められる。コララインは、魔女が美味しそうに虫を食べているのを気持ち悪がり、舌を出して拒絶する。
 最後に、魔女がコララインへ出した手料理について。彼女が料理を振る舞うシーンは三箇所存在するが、最後の料理のみコララインは手をつけない。料理そのものは美味しそうな見た目をしているが、このシーンは両親を攫った魔女と対決する直前であり、彼女に敵意を抱いていたコララインは、料理の安全性を信頼できなかった上、魔女に強い対抗心を燃やしていたので、料理を口にしなかったと考えられる。
 以上、四例がコララインの食べなかった食品であり、いずれも食事を提供したキャラクターとコララインの関係が不調という点で共通する。まず、パパについて。作品冒頭で、パパとママは仕事にかまけてコララインを構っておらず、その結果、親子関係に軋みのあることが示されている。ボビンスキーについては、意味のわからないことを言っている彼を、コララインは多少なりとも警戒しており、それゆえビートを気持ち悪がっている。そして魔女は両親を攫った犯人であり、コララインの対決すべきヴィランでもある。これらから分かるように、コララインが提供された食事を拒む時、その提供者との関係には不調和な部分が存在している。彼女は、単に見た目が気持ち悪いというだけで食事・食品を嫌がっているわけではないのである。
 まとめると、食事を共にする相手や食品を提供する相手との関係が悪い時、コララインは食事を拒絶していると言えるだろう。

2.愛しい食べ物

 次にコララインが食べた食品について考えていく。最初に彼女が食事をするのは初めて異世界を訪れた時であり、もう一人のママすなわち魔女が振る舞った手料理を彼女は美味しそうに食べている。コララインは累計して三回、異界と現世を往復しており、その度に魔女は手料理を振る舞っているが、内、一回目と二回目でコララインはそれに手をつけている。これらの料理を、作った当人たる魔女が食べることはない。作品後半で明かされることだが、魔女の食事は虫か子供の魂であり、それ以外のものは食べられないと考えられる。その一方で、もう一人のパパはコラライン同様に魔女の手料理を食している。
 映画ではミス・スピンクとミス・フォーシブルの部屋を二回訪れるのだが、どちらの場合もコララインは二人からお茶を振る舞われ、それに口をつける。ただし、ミス・スピンクとミス・フォーシブルは延々としゃべり続けるだけで、何かを食べたりしない。この場面でコララインが自己紹介をしていないことから三人は既知の仲だとわかる。コララインはこの二人からお茶占いによる忠告を授かり、また二回目に訪れた際、穴の空いた三角形をした、翡翠のお守りを与えられる。このお守りは魔女とのゲームでコララインを助けるアイテムとなる。
 最後に、もう一人のワイビーについて。彼とコララインは異世界でハツカネズミのサーカスを一緒に観るが、その際にコララインは彼の体にくっついた綿飴を食べている。彼が手渡したものではないが、彼の体についていたものであるため、彼から提供されたものと捉えられるだろう。しかし、もう一人のワイビーは魔女の力で口が開けないため、綿菓子を食べることはなく、このシーンでも提供者とコララインは一緒に食事しない。
 いずれの例でもコララインが食事に嫌悪感を催すことはない。またコララインは、食卓を囲むキャラクターに親しみを持っているか、そうでなくても嫌ってはいない。もう一人のママ・パパ・ワイビーといる時、コララインは楽しそうに振る舞っており、食事をとっている時の関係性が良好であると示される。ミス・スピンク、ミス・フォーシブルの場合もコララインは違和感を抱きつつ、ボビンスキーの場合と違って不信感を持ってはいない。これらから親しみと食べ物を受け取る行為と結び付けられていると言えるだろう。
 加えて彼女が食事を共にするか、提供を受け入れた相手の大半が、彼女の支援者となることも注視すべき点である。もう一人のパパは魔女との宝探しゲームの時、コララインに味方して探し物の目玉を渡してくれる。ミス・スピンクとミス・フォーシブルは先述の通り、お守りで彼女の力になる。もう一人のワイビーも鏡の中に囚われた彼女を助け出してくれる。このように食事と支援は作中で関連性を持って描かれている。
 唯一の例外は魔女である。彼女はコララインに食事を提供し、それを受け取ってもらえるが、彼女と敵対するキャラクターである。魔女はコララインおよびもう一人のパパと食卓を囲む際、唯一食事をとっておらず、何も載っていない皿だけが登場する。これについては、先述の通り魔女が本来食べるものはコララインと別のものであり、食事のシーンではそれを隠していることが知れる。ここで魔女はコララインに警戒されないよう彼女のママに擬態しており、自身の本性を曝け出していない。つまり、魔女は偽りの姿でコララインと食事しているのであり、それゆえ食事を通した二人の交流も偽物だったと言えるだろう。このことは映画後半で魔女が真の姿を現し、コララインと敵対していることからも看取されよう。すなわち魔女とコララインの食事は、他のキャラクターとは異なり、良好な関係を構築するものではないのである。
 以上より、食事を提供する相手に親近感を多少なりとも抱いている場合、コララインは食卓を共にしており、そうして共食した相手は物語の後段で彼女を支援する存在となるのである。

3.コララインが運ぶ食品

 他のキャラクターから食事・食品を与えられてばかりのコララインだが、彼女が他キャラクターに食べ物を渡す場面も存在する。
 初めて異界から帰ってきた日の朝、彼女は母親に促されてミス・スピンクとミス・フォーシブルの部屋へ向かう。その中途、自身の部屋にボビンスキー宛のチーズが誤配されていると気付き、彼に届ける。そこでボビンスキーはチーズが、彼の飼っているハツカネズミの餌であること、およびハツカネズミが異界へ行かないよう忠告していたことをコララインに伝えた。彼女は親切心からチーズを届けたと考えられ、そこに彼女の善意が見てとれる。ネズミ達はそれに対する返礼として忠告を言い渡したのだろう。
 もう一つは作品末尾、アパートメントの住人全員が、恐らくはコララインの発案で中庭にチューリップを植える場面である。ここで彼女は家族を含めた住人全員にレモネードを振る舞っており、彼らから感謝されている。レモネードの受け渡しによって、コララインと他人物との関係が改善したことを表しているのだろう。具体的には、関係が良好とは言えなかった両親・ボビンスキーとの関係が好転し、ミス・スピンク、ミス・フォーシブル、ワイビーとの関係が以前より親密になっている。ここでワイビーについて述べておこう。彼は魔女を倒すのに重要な役割を担ったキャラクターであり、コララインと食事を共にする唯一のシーンで両者の親密さが表されている。
 以上より、コララインが食品を渡す行為には対象への善意・親密さが表れており、それを他のキャラクターが拒まないことで、親しい関係の構築が示されるのである。

4.食べない者達

 今まで見てきたように、この作品では、食べ物を通してコララインとその他キャラクターの関係が表現されており、食事は人間関係の比喩だと見ることができる。その一方でコララインと食事・食品を交えずに関わりを持つキャラクターも存在する。それがネコと子供の幽霊達である。
 彼らと食事が関連する場面は、原作小説では存在していて、ネコについては以下のような記述がある。

ネコは体をぶるっと震わせ、飛びあがったかと思うと、コララインがまばたきする間もなく、前足で大きな黒いネズミを押さえつけていた。「ドブネズミなんぞ、好きでもなんでもないんだが」ネコはなにごともなかったみたいに話し続けた。「ここのネズミはどいつもこいつも、あの女のスパイだからな。あの女はネズミを自分の目や手足として使っている……」ネコはネズミを放した。
 ネズミが何歩か逃げると、ネコはひと跳びで襲いかかり、片方の足でネズミを押さえつけておいて、鋭い爪のついたもう片方の足でたたきのめした。「おれはこの遊びが好きなんだ」ネコは楽しそうにいった。「もう一度やってみせようか?」
「いいえ、けっこうよ。どうしてそんなことをするの? 弱いものいじめじゃない」
「そうさ」ネコはネズミを放した。
 ネズミは目をまわし、二、三歩よろけてから走りだした。ネコは前足でネズミをはねあげ、口で受け止めた。
「やめて!」
 ネコはネズミを前足のあいだにおろした。ため息をついて、油を塗ったシルクのようになめらかな声でいう。「ネコが獲物をおもちゃにするのは慈悲深い習性だという者もいる。ちょこまか走るおもしろい餌を、たまには逃がしてやっているのだからな。お前は夕食を逃してやったことはあるか?」
 それからネズミを口にくわえて森に入ると、木の向こう側に隠れた。(第6章、pp.100-101)

 ここでコララインはネコに嫌悪感を抱いているが、その理由の一つはネコがネズミを弄んだことである。もう一つ、ネコがネズミを食べようとした瞬間にそれを制止していることからネコの食事内容が受け入れられないことも理由に挙げられる。この場面では、ネコとコララインの噛み合わなさが示されている。
 次いで幽霊について。

その夜、こんな夢をみた。
 緑の草原に生えている古いナラの木の下でピクニックをしていた。太陽は空高く昇り、遠くの地平線にはふわふわした白い雲が浮かび、頭の上には深く穏やかな青い空が広がっていた。
 草の上には白いリネンのテーブルクロスが敷いてあり、食べ物を山のように盛ったボウルがいくつもおいてあった。サラダ、サンドイッチ、ナッツ、フルーツ、レモネード、水、濃いミルクココア。コララインはテーブルクロスの端にすわり、ほかの三辺にも子どもがひとりずつすわっていた。(第12章、p.182)

 魔女から両親と幽霊の魂を取り戻し、異界から帰ってきたコララインは上記のような夢を見、幽霊達から感謝を述べられると同時に魔女の厄災が去っていないと忠言される。ここではコララインと幽霊達の親密な様子が表される。
 こうした原作の描写の内、ネコがネズミを仕留めるシーンは映画にも存在するが、ネズミが魔女の作った人形に変更されているため食事とは結びつかず、幽霊達とのピクニックはカットされている。
 映画ではネコと幽霊達のみ食事シーンがなく、特殊さが暗に示されている。両者の共通点は二つ。一つは魔女の敵対者としてコララインと利害が一致していることであり、もう一つは魔女とのゲームでコラライン陣営に与していることである。幽霊達は魔女に魂を食べられた存在であるため彼女に敵対心を持ち、自分達と似た立場のコララインに同情を寄せる。こうした類似性が彼らをコララインに味方させのだろう。ネコに関しては、「女とのゲームさ ここの女は猫嫌いだが 俺を追っ払えないんだ」というセリフや「どのママより猫を憎んでる」というセリフから魔女と対立していることが示されている。ネコとコララインの利害は一致しており、彼はコララインの味方となって幽霊の魂を探す手助けをする。
 ここまで見てきた通り、ネコと幽霊達は食事・食品ではなく、魔女への敵意を通じてコララインと関係を構築している。彼らは異界と現世の両方に存在していた存在であり、その点も彼らとコララインが共有する要素である。以上から、彼らはコララインと類似した属性を持ち、利害も一致しているキャラクターであり、ある種、分身的な立ち位置にあると言えるだろう。作中の食事はコララインと他者の関係を表すものであり、最初から彼女との関係性が定まっているキャラクターには無用のものなのである。

5.母とコララインと食べ物

 最後にコララインとママとの関係について考えていこう。この作品では二人の関係が物語の大きな軸になっていると考えられる。魔女が化ける相手がママである理由として、魔女と同じ性別であったことの他に、ママに化ける方がコララインをおびき出すのに有効だと魔女が判断したという解釈も成り立つ。ここからコララインとママの関係が特殊なものだったと推測できる。
 両親から構ってもらえないことにコララインは不平を抱いているが、彼女がより強い関心を向けるのはパパではなく、ママであり、このことからコラライン最大のストレスはママとの関係が上手くいっていないことだと推察される。根拠は二つある。一つ目は、コララインのせいでママが首を怪我したと間接的に示されていること。作品冒頭部には、やることがなくて退屈しているコララインがママにガーデニングをしようと誘うシーンがある。ここでママは自動車事故のせいで首を怪我したので無理だと断るが、それにコララインは「私が悪いの?」と返答している。ここからママの事故にコララインが何かしら関与していたことが分かる。二つ目としてコララインとママの会話がある。ママからコララインへの発言は事務的なものや叱責が多く、冗談めかした言葉遣いのパパとは対比的である。また、コララインと言い合いをするシーンも多く、二人の関係は険しいものだと考えられる。しかし、パパとの会話は冗談混じりであり、ママと比べれば良好な関係と言えよう。以上からコララインは両親が構ってくれないことを不平に思っているものの、よりママの方に不満を溜めていると推測できる。
 一方で、コララインはママとの関係改善を望んでいる節もある。まず、三人が一緒にいる場合、コララインはママに話しかけるか、両方同時に話しかけるかのどちらかしかなく、パパの方へ最初に語りけるシーンはない。作品冒頭で、暇潰しの相談をする相手はママであり、彼女に促されてコララインはパパのところへ話に行く。パパの料理への不平は最初にママへこぼすし、異界に初めて行った後、その感想を一番に聞かせるのもママである。出版社へ原稿を持っていくシーンでは、両者に同時に話しかけているが、鏡に囚われた両親を見つけた時および魔女に勝って現世に戻り、両親と会った時には、どちらも最初にママと呼びかけている。更に言えば、異界で、ママに擬態した魔女が振舞った料理を喜んで口にしている場面からも、コララインからママへの愛着が感じられる。これらのことからコララインがママに対して強い関心を持っていることが知れる。
 また、ママの方も彼女との関係を好転させようとしており、冷蔵庫に食材が何もないことに気が付いた時には、コララインに食べたいものを聞いて、彼女の望み通りに料理を作ろうとし、コララインが欲しがっていた手袋を彼女に内緒で準備する。
 上記から分かるように、二人の関係はとても微妙なものである。恐らくはコララインがママの怪我の原因となったため関係がぎこちなくなったのだろう。それを二人は改善しようとしており、コララインが母の手料理を望むことや、時間が経ってからとはいえ、母がそれに応えようとすることからもそのことが読み取れる。こうした関係性は、コララインとママにのみ看取できるものである。
 ここで、ママの買ってきた食材に着目する。それはコララインが目をボタンにするよう魔女に迫られた後、もう一人のワイビーの助けで現世に帰ってきた場面で見られる。彼女は両親を探して家を探し回るが、誰もおらず、台所に腐った食材が置かれている。これは前のシーンで、コララインに料理を振舞うため母親が買ってきたものである。先述した通り、手料理は二人の関係を改善する糸口のような役割を持っており、腐敗により、それが行えなくなってしまったことが示される。作中で、異界と現世の時間の流れが正確に符合していることを踏まえると、食材の腐敗は長時間放置されたためではなく、魔女の力によるものと考えるのが妥当であり、腐った食材は、魔女によって接近しかけた母娘関係が破綻の危機に瀕していることを仄めかしているのだろう。
 両者の関係は、コララインが両親を救い出したことで好転する。ママはそのことを覚えていないものの、コララインの方は記憶しており、冒険をきっかけに彼女自身が両親を大切にしなければならないと思ったのだと考えられる。母娘の関係改善は最後のレモネードのシーンで明示される。コララインはママはレモネードを振る舞い、それを受け取ったママは、コララインに言われた通り、自分が泥を嫌っていたことを認めつつ、コララインの発案で植えることになったチューリップを褒め、娘の頭を撫でている。そこには子供への親愛が見て取れ、友好的な関係に変わったと分かる。
 以上から「コララインとボタンの魔女」において母娘関係が大きな要素であることが分かる。最初、不和から始まったそれは、改善を望む両者の働きかけで接近していくものの、魔女が母を攫ったことで破綻の危機に瀕してしまう。その後、コララインによるママの救出を経て、両者の関係は良好なものへと変化するのである。不和から改善の動きに手料理の会話が関わり、魔女の介入による関係の危機を腐った食材が暗示、関係の好転はレモネードの提供を通じて示される。コララインとママの複雑な関係の変化は、食品や食事によって巧みに表現されているのである。

結び

 「コララインとボタンの魔女」において、食事と人間関係は強い繋がりを持ち、コララインと他者の親疎が食事を通して表現されている。それは食事が出た時点での両者の関係性を示すと同時に、複数の食事を結び合わせることで関係がいかに変化したかも表している。一方でネコや幽霊達のようにコララインと類似した立場にいるキャラクターでは最初から双方の立ち位置がわかっているため関係を構築するものとしての食事は行われない。またこの作品では母娘関係の改善がプロットの主題となっており、それもまた食事や食品によって暗示されている。
 

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