たまご焼きのお味はいかが?
こちらのお話は名前や性別以外、実際のお話となっています。
私の歩んできた人生です。
そして、登場人物。
主に母、私、弟トシ、妹みつきの4人がメインで綴った物語です。
ではでは、どうぞ。
◇◇◇
今日も母はキッチンで、鼻歌をうたっている。
私が小さい頃から、ずっと繰り返されて来た光景。
初めはぐずる私をあやしながら。
2年後には、弟トシを背負いながら。
また、2年後には、妹みつきを抱っこ紐で抱えながら。
私の家は、母子家庭。
妹が母のお腹にいた時、父親が違う女性を作っていなくなった。
理由は、今はもうわからない。
でも、いつも鼻歌をうたっている母はその日だけ。
リビングで、膝を折り咽び泣いていた。
幼い私と幼い弟トシを前にして。
でも、その後は、どんなときも弱音を吐くことなく。
私たち兄妹を最優先に生きてきた。
朝は、新聞配達。
お昼はお弁当屋さん。
夜は、宅配便のお仕事。
3人を保育所が預かってくれる時間いっぱいまで働き。
帰ってきたら、私たちのご飯を作る。
疲れているに違いない。
お腹が減っているに違いない。
なのに、笑顔で鼻歌をうたいながら作る。
母は、その夕飯の残りと豆腐を食べていた。
そんな母が作るのは、めんつゆで味付けされた玉子焼きが多く、それにお得品で安い野菜のお浸し、豆腐のお味噌汁と白ご飯だった。
理由は明確で、母子家庭で兄妹の多い私たち家族には、お金があんまりないからだ。
本当に出費を抑えるなら、大きな家族連れが使うスーパーマーケットに行けばいいなんて言われるかも知れない。
でも、そこで商品を買うほどの余裕すらなかった。
それでも。
少しでも栄養のあるものを私たちにという母の愛で、食卓には当時価格の優等生と言われた卵が我が家の食卓に並ぶことが多かった。
今でこそ、母子家庭にスポットが当たることが多い国の福利厚生だが、当時は何もなかった。
残された方は、貧乏になり泣き寝入り。
歯医者は歯が痛くなってからいき。
ただの高熱では病院なんていけやしない。
こんな理不尽な状況を変えようと裁判を起こそうにも、いきなり1人となった母の手元には、大したお金などは当然なく。
それどころか、将来の夢はお嫁さんと語っていた母には、なんの知識もなかった。
私だったら絶望しかない。
幼い私と弟、お腹にも妹がいる。
それに仕事もなく、家賃を払えなければ住むところもない。
でも、母は父親だった人が去ったあの日以外。
一度も泣くことはなかった。
私の脳裏に浮かぶのは、戸建てキッチンから、個人名義の借家、そして団地のキッチンへ変わろうとも、幸せそうな母の鼻歌と私たち話し掛ける優しく元気な声。
そして、雨の日も、風の日も、どんな時も休まず。
どうにか見つけたパートの仕事へ赴く。
しんどくても、笑顔を絶やさず。
辛くても、誰に当たることもなく。
まだまだ、幼い私たちに見守るように優しく
時には父のように厳しく。
私たちを照らし続けてくれた――。
◇◇◇
――小学生時代。
母は、自転車に乗り私たちを公園へ連れていく。
背中に妹みつき。前の席に弟トシ。そして後ろに私を乗せて。
3人とも歳は近かったが、仲はとてもよかった。
その姿をみた人たちからは、サーカスみたいだね。
幸せな光景だね。
とよく声を掛けられていた。
近所では、かなり有名な家族だった。
いつも笑顔に溢れている幸せな家族と。
学校の行事も、父親がいない分、母は何倍も大きな声を出して応援してくれた。
運動会のリレーで、私がアンカーを任された時や本来であれば父親が走る借り物競争などにも、無邪気に参加したり。
授業参観で誰よりも気合い入った声で教室の端から応援してきたりなどだ。
私が病気のせいで見た目が変化してしまい、虐められたときも「大丈夫! 今の方がいいよ! 可愛いから」と励ましてくれた。
絵に描いたような肝っ玉母さんで。
それは弟や妹に対しても、同じように接していた――。
◇◇◇
――中学生時代。
お昼が給食から弁当に変わったことで、いつも玉子焼きと冷凍食品が入った弁当を笑顔で手渡され。
また部活動での大会ともなれば、ハチマキを頭につけて、大きすぎる弁当を持参してくる。
それは母が勤めている手作り弁当屋さんで作った、格安でお店から購入したハンバーグといつも玉子焼きが入った物。
美味しい物、栄養のある物と安い物。
色んなことを考えた結果の愛の形。
この頃から、母の代わりに私が料理をすることが増えていく。
それは私たちが大きくなったことで、母が遅くまで働けるようになったからだ。
私は母に教えてもらった玉子焼きや、見様見真似で色んな物を作るようになっていった。
仕事で忙しくなった母の代わりに。
もちろん、価格相場を地元のスーパーで比べながら。
そして、その日々は繰り返されていく。
当たり前のように――。
◇◇◇
――そして、高校時代。
私は、高校卒業後すぐ働けるようにと、公立の工業系の高校へ進学し、真面目な性格に。
弟トシは、試験勉強を頑張りなんとか、入学した高校を部活動での人間関係《いじめ》によって、中退することになり、目標を見失い反抗的な性格となっていた。
こうして色んなことが重なり合い、全く違った性格になった私と弟は、仲の良かった小学生、中学生時代とは違い、いつも喧嘩してばかりしていた。
それは、今思えば思春期ということも影響していたのかも知れない。
ただ、私は弟に対して口を開けば、髪なんか染めんな。ちゃんとしろ。付き合う友だちは考えろ。バイクなんて乗んな。勉強しろ。
と自分が信じる幼い正義を振りかざし。
対してトシも、上から目線やめろ。お前を身内だとは思っていない。自分の価値観押し付けんな。早く相手を作っていなくなれ。
と私を心から疎ましく思っていた。
このやり取りを見ていたみつきは、中学生になり。
彼女は揉め事を起こさないように。
誰にも負担をかけないように。
身の回りのことは自分でするようになっていた。
そんな妹は決まって、もうやめて。怖いよ2人とも。
と声を震わせていた。
その泣き声を聞いたことで、私は徐々にヒートアップしていき、部屋の中には私と弟トシの怒号が響き始め。
「お前がそんなだから、この子が怖がるんだよ!」
「違う! お前がいっつも自分が正しいみたいな顔で俺を馬鹿にしてくるのがわりぃんだよ!」
こんな会話をしながら、髪の引っ張り合いまで発展していき。
胸ぐらをつかむ弟に爪を立て泣き喚く私。
そんなことを見向きもせずキレるトシ。
だが、その目からは涙が流れていた。
それを母は身を挺して止めに入る。
そして、決まって私たち2人を、無理やり止めに入ったせいで痛めた腕を抑えながら、叱ってくる。
「どっちも悪い」と。
当時の私はそんな母を疎ましく感じる時もあった。
弟の方が間違っているのに、なぜ私まで怒るのだろうか? 弟トシの方が可愛いのではなかろうのか? 姉だと我慢しないといけないのか? など色々だ。
☆☆☆
――そんなある日。
私と弟は同じように喧嘩をして、母に2人して怒られていた。
「〇〇……、あなたも言いすぎです。トシ、あなたは男なのに手を出すとか言語道断です」
弟トシは怒られたことで、すっかり塞ぎ込んでしまい自分の部屋で啜り泣いていた。
「〇〇はいいよな……ちゃんと真っすぐ生きれて、僕もそんな風に生きたかった」
私は、この言葉を聞いても、弟が何を言いたいのか、全くわからなかった。
そんなことを思うくらいなら、今からでもちゃんとしたらいい。なんて思っていたくらいだ。
また近くで一連の出来事を見ていた妹みつきは、みつきで弟トシに怒った私に対して、「〇〇言い過ぎだって……トシ泣いていたよ?」と彼の肩を持っていた。
これも私にとって、理解できないことだった。
悪いのは、ちゃんとしない弟トシだとそう考えていた。
グチャグチャなった髪を整え、鼻水を啜りながら考え込む私に母は、優しい声で話し掛けてきた。
「〇〇、ご飯にしよっか……トシにも声を掛けてあげて、来なくてもいいから。できたら謝ってあげて」
その母の言葉に、疑問を抱きながらも弟の部屋の前に来て声を掛ける。
「トシ……さっきはごめん。言い過ぎた。ご飯だって……くる?」
「ゔん……ごめん〇〇。ちゃんと、でぎなぐて……グズッ、あとでいくから」
弟トシは泣いていた。
この時。
初めて弟の気持ちがわかった。
彼がこの状況を一番どうにかしたかった。
だが、どうすればいいかわからず、弟トシなりに足掻いていたのかも知れない。
今の自分をなんとかして変えたい。
現実と向き合うと辛い。
でも、どうにかしたい。
こんな矛盾した気持ちを抱えながら。
でも、もしこの時、母の一言がなければ私は今もまだ弟を無意識に下に見ていたのかも知れない。
そう考えると母の偉大さを感じた。
なにもかもお見通しだった――。
◇◇◇
――しばらくして、泣きすぎて顔を腫らした弟トシと私。
声を震わせていた妹と母で食卓を囲んだ。
4人がけのテーブルの上には、いつもの玉子焼きとおかずが数種類用意されている。
だが、重苦しい雰囲気が流れていて、誰も会話をしようとしなかった。
それは当然のことで、喧嘩して謝ったからと言ってすぐいつも通りになるわけがなかった。
母は、こんな状況だというのに、仲直りできてよかった。
と笑顔を咲かせていた――。
◇◇◇
――3年後。
あれからも色々なことがあった。
私は高校を卒業して、就職した会社は事情撤退を余儀なくされて25才を前にして無職になり、ハローワーク通いとなり、鬱病を発病した。
弟トシは、よくわからない女に騙されて自暴自棄になり自殺未遂。
唯一、妹みつきはちゃんと奨学金を借り、短大へ進学することは出来ていたが、色々なことがあり過ぎて心を閉ざすようになっていた。
だが、母は気丈に振る舞っていた。
大丈夫。生きていれば、死にたくなることくらい何度かはあるよ。
でも、死んだら勿体ないよ。
死んだら、そこで終わり。
死ぬくらいなら、なにか出来るよ。
だから、ほら前向いて。
取り敢えず1つ何かにチャレンジしてみよう。
きっと、今は苦しくてもどうにかなるよ。
だって、あなた達は、誇るべき私の子ども達なんだからと。
やはり母は泣かなかった。
そんな母のおかげで私たちは再び前を向き始めた――。
◇◇◇
――更に1年の歳月が経過した。
ここは、大阪府のとある結婚式場。
私は人生の門出を迎えようとしていた。
母が教えてくれたように、どんなに辛くても人にやさしく接してきた。
どんなに苦しくても笑顔でいた。
どんな時も、母のように。
そのおかげで、私の隣には生まれ変わっても一緒になりたい人がいて。
式場の中には、今まで関わってくれた様々な人たちが駆けつけてくれていた。
小学校時代の同級生。小学校時代の担任の先生。
中学生時代の親友。高校時代の部活仲間。
社会人になってから出来た友人たち。
今の会社の同僚に上司に。
私の一番大切な人の家族。
そして、私の親族の席には、人に優しくしたいと言って介護職に就いた弟トシ。
右隣りには、短大を無事卒業し保育士として子どもたちを育てる妹みつき。
その横には、綺麗にメイクをしてもらい、和服を着せてもらったというのに、台無しになるほど涙する母の姿があった。
それでも、式は順調に進んでいった――。
指輪の交換では、なかなか指輪が入らず周囲を笑わせ。
愛の誓いでは緊張しながら、人の前で初めて大切な人とキスを交わした。
そして、披露宴。
紙吹雪を飛ばすバズーカから始まり、いきものがかりの気まぐれロマンティックが流れた。
盛り上がりと祝福の歓声の中、ケーキ入刀。
とても一口では入らない大きさのスプーンを使った大切な人とのケーキファーストバイト。
酔い始めていた友人からの昔のエピソードトーク。
お世話になった人たちからのお祝いの言葉。
ここに来た全員が全力で私たちを祝ってくれていた。
私は、幸せ。
とても、とても、とても。
とても、とても、とても幸せ。
私が幸せを噛みしていると、最後挨拶の時間がきた。
本来であれば、男性が務めるところを大切な人の家族の好意もあっては、私の母が挨拶をすることになっていた。
内容は事前に知らされていなかった。
「大きくなったね。本当に大きくなった。私はあなたが五体満足で、大きくなってくれたことが母として、なによりも嬉しいです。
あなたは小さい頃から優しく誠実で人一倍責任感の強い子でした。
兄妹や私のことを気遣ってくれたり、ドがつくほど優しい子でした。
そのあなたに足りないところを埋めてくれる人が現れて母はとても安心しています。
きっと間違いなく、あなたが見初めた大切な人と、ずっと幸せな笑いの絶えない家庭を気づいていくと確信しています。
皆様、これからもどうかこの2人にご尽力賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
秦基博のひまわりの約束が流れ、母はこの式場に来た全員に深く頭を下げていた。
私はその姿に涙が止まらなくなっていた。
理由はわからないが、止まらなくなっていた――。
◇◇◇
――あれから、3年後。
私は、よく玉子焼きを焼いている。
別に生活に困窮しているわけではない。
でも、時折。
大切な人にこの味付けの玉子焼きを無性に食べさせたくなる。
それは、母がどんな思いで私たち兄妹に玉子焼きを焼いていたのか、やっと真の意味で理解出来たからかも知れないし、違うかも知れない。
でも、確かなことは、今日も大切な人の笑顔を見たいということ。
だから、私は今日も玉子焼きを焼く。
「玉子焼き、できたよ。食べますか?」
「お、ありがとう! 食べる!」
「ふふっ、お味はいかがですか?」
「もちろん、美味しいよ!」
あの時の母のように。
自分の大切な人を笑顔にするために――。
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