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「鶴梁文鈔」私家訳

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幕末期の文人で幕臣であった林鶴梁の文集です。以前ご依頼いただいて訳したものに若干手を入れました
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記事一覧

『鶴梁文鈔』巻十 訳(完)

序 山は高くないものでも水のそばにあり、水は深くないものでも山を育ててい る。そばにある…

堀越 仁
1年前

『鶴梁文鈔』巻九 訳

序 米沢の地は、山間の片田舎にある。そして川や海のような水路の利便がない。その国力が衰え…

堀越 仁
1年前

『鶴梁文鈔』巻八 訳

四得録 安政五年、わたくしは遠州から羽州に転任し、八月二十九日に入国し、年貢米のことを検…

堀越 仁
1年前

『鶴梁文鈔』巻7 訳

韓愈の画像について ある人物が所蔵する、華山人(渡辺崋山)が描いた韓愈の画像は、実に生き…

堀越 仁
1年前
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『鶴梁文鈔』巻6 訳

烈士喜剣の碑 喜剣はどこの人であるかわからない。あるいは薩摩藩士であるともいう。気 骨ある…

堀越 仁
1年前

『鶴梁文鈔』巻5 訳

静古館記 佐賀の古賀穀堂先生は、新たに家塾を郷里の金毘羅山に建て、静古館と名付けた。おそ…

堀越 仁
1年前

『鶴梁文鈔』巻4 訳

謄本「胡邦衡 の高宗に上 る封事」の序 南宋の名臣で、天地間にみなぎるばかりの忠義心にあふれていた人物といえ ば、胡邦衡であろう。当時の貴人たちは、皆気息奄々として、ろくに発言することがなく、畏縮し、たじろいでいた。そして、君主に媚を売って安楽をむさぼろうとし、天下国家のことをまったく考えようとしない姦臣がいるばかりであった。あぁ、なんと不忠不義のはなはだしいことであろうか。そこで邦衡は勇を奮って封事を奉った。心ある人はこれを、才能の人が運に巡り合って世に出ることができたと

『鶴梁文鈔』巻3 訳

戦論一 用兵を得意とする者は、必ずその人民の風俗を観察し、その国家の形勢を熟知するもので…

堀越 仁
1年前

『鶴梁文鈔』巻2 訳

藤田斌卿に答える書 斌卿(藤田東湖の別号)殿へ。四月二十九日、相良芳太郎(東湖の門弟)が…

堀越 仁
1年前
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『鶴梁文鈔』巻1 訳

以前ご依頼いただいた中から、幕末期の儒者・林鶴梁(1806ー1878)の文集『鶴梁文鈔』の翻訳を…

堀越 仁
1年前
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