高校教員が数学研究を再開したきっかけ 論文博士を取得するまでの話

大学院を修了して、高校教員になってから約10年たったぐらいの話です。それまでの10年間は研究と呼べることはしておらず、たまに数学書を眺めたり、教材研究の一環で数学の難しい入試問題の検討をするぐらいのことしかしませんでした。3月のある日、突然黄色い大きめの封筒が○〇大学から職場の私宛に届きました。宛名にはかつてよく見た文字が。複素関数論や測度論の講義の板書、ゼミのときの板書をはっきりと思い出しました。学生時代に数学を楽しんだ師匠の文字です。しばらく連絡を取っていなかったので、どんな中身だろうとドキドキしながら封を解きました。そこには海外の方が書かれた論文1本と手紙が入っていました。手紙の内容は

この論文のレビューを書かなければいけません。
あなた(リャマ)の修士論文と関係があると思いますが何かわかりますか?

というものでした。
え、いやいや、そんな10年も前のこと、そんなの急に言われても、なんて当初は困惑しましたが、ここはやるしかないと一念発起し自分の修士論文を引っ張り出し読み直すことから始めました。修士論文の内容はオリジナルな結果とはいえ大したものではないし、自分で考えたことだから思い出すことはそれほど難しくは感じませんでした。よし、これなら論文も読めるかもと思い、送付された論文の精読にも挑戦しました。論文を読み解いた内容を師匠と何回かやり取りしていると、そのうち「○○大学に他のお弟子さんも呼ぶから、セミナーをやりましょう」とのお誘いが。せっかくのお誘いだからやってやろう!というチャレンジ精神に火が付き発表することになりました。もちろん私の担当はその論文の紹介です。実際の発表ではある程度はつまずきました。でも何とか楽しく発表できたように思います。打ち上げもあり、師匠とお弟子さんと楽しい時間を過ごした風景も目をつぶると鮮明に思い出します。
この機会がきっかけとなり数学の研究が再開しました。
後日、師匠と私の「修士論文の出版プロジェクト」がスタートを切ります。

進路多様校である勤務校では、小数分数の指導から数学Ⅲの微分積分まで幅広く指導しました。教科指導はもちろんのこと、HR指導、部活動でも若いうちはたくさん苦労しました。それでも高校の先生という仕事を自分の生き方として選択して本当によかったです。大学院に残って大学の教員をめざせば良かったという気持ちがないと言えばうそになりますが、研究を再開する前も再開した後も、高校の教員になったことに後悔は全くありません。それは今の職場に勤められたからこそだと思っています。ともに働くあたたかみのある教職員や、(勉強はあまりしないけど)まっすぐで素直な生徒たちとたくさん触れ合えたからです。
博士課程に進まなかったことが「高校数学教員」と「数学研究」の二刀流につながっていると思うと、すごく贅沢な人生を歩んでいるように思えてなりません。

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