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ね羊さんのみこころ探索

  はじめまして、ね羊さんです。

  このnoteでは、” 御言葉から御心に ”をテーマにして、天の父の理解から、その思いに至る便りになるようなお話を書いていこうと思っています。

  それは、2020年の春から私は、お友だちの紹介で教会に通い始めました。そのときは、ただただ、日々、聖書を読んで、教会生活を送ることを楽しんでいました。

  しかし、あるとき、ふと思いました、「はて、私はイエスを信じたものの、一体どのような救いを受けたのだろうか」と。

  信じたあとが、始まりなのですね。

  そんなときに、牧師から「子供の参加する礼拝の教師になってくれませんか」と、声をかけられ、迷うことなくOKしました…が、困りました。

  聖書をひと通り読んでいましたが、何を話せばいいのかわからなかったからです。けれども、何度かお話しているうちに、自分が聞きたかった話をしようと思うようになりました。

  私が父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方が私について証しをなさるであろう。あなたがたも、初めから私と一緒にいたのだから、証しをするのである。

ヨハネによる福音書 15章26-27節

  私が礼拝で聞きたいお話は、「目の前でお話しする方は、どのようなときに神を見て、イエスさまから教えを受け取って、自分の生き方を見つめ直すきっかけにしているのだろうか?」ということです。

  ですから私は、私自身が聖書の言葉を便りに、" イエスさまから、どのように教えを受け取っているのか " というお話を、子供たちにしていこうと心に決めました。

  2023年9月に、牧師の紹介で東京神学大学の集いに参加して来ました。こういった場で必ずあがるテーマは、「若い人たちをどのように信仰に導けばよいのか」。そのことに、どの教会も頭を抱えているようです。

  そのようなときは、やはり御言葉ですね!

  私たちが見たもの聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせるのは、あなたがたも、私たちとの交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。

ヨハネの手紙 Ⅰ 1章3節

  そして、その " 見たもの " 、" 聞いたもの " とは、私たちの経験・体験を通して、頭だけの理解から、その心、その思いに至る過程を経て、私たちが身に着けてきたものですよね。

  乳を飲んでいる者は皆、幼子ですから、義の言葉を味わったことがありません。固い食物は、習慣によって善悪を見分ける感覚を鍛えられた、大人のためのものです。

ヘブライ人への手紙 5章13-14節

  その思いを伝えるには、話し手自身のエピソードが不可欠です。

  おもに、子供たちに対してお話するものなので、私の子供の頃のエピソードが中心となってお話しています。けれども、子供の頃の出来事とは、共通する話題も多いと思いますので、幅広く共感していただけるものと思っています。

  そうは言っても、この数年の間、私の思いは子供たちに通じているのか不安でした。

  けれども、この1年ほど(2023.10現在)、コロナも落ち着き、教会の交流も回復してきました。その中で、お話をすると、子供たちも声を出して笑って聞いてくれますし、熱心な中学生からは、「わかりやすい」と感想をもらうこともできました。

  保護者の方からは、私がよく子供の頃のお話をするので、「子供はそんなに親の言葉を憶えているものなのですね」と、子育ての励ましにもなっているようです。


  このnoteでは、主に、私自身の説教内容を見直して、よりよく子供たちに御心が伝わるように、自分の成長記録としてあげていこうと思っています。

  このほかにも、職歴によって身に着けた教師、役者、法律家、営業などの教養をもとにして聖書の学びやノウハウの整理もやっていきます。

  みなさん、ね羊さんをよろしくお願いします。

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