坂本水漣
長編ファンタジー小説です。
どうして僕らは、この世を懸命に生きることを 宿命づけられねばならないのか。 ならば、蜉蝣のように散りたい。 ケーキの甘みが沁みわたった席で、窓の外を青嵐のようにゆく人々を眺めて、悠久の時を思うようだった。 僕は連綿と続いてきた遺伝子の果てのない旅路を辿るような気分で、 ベビーカーに乗った赤子を見ていた。 妻がスマホで次の店を調べて、夫がそれを見守っている。 若い夫婦の姿は、五月の窓に絵画のように見えた。 いずれ人類は滅びるだろう。それがいつかは分からない。けれどそれは、いつか
藪の茂った森の小道を抜けた先、春風がさっと駆けると、花の香りがした。爽やかなあまい香りが鼻先をくすぐったような気がして、私は鬱蒼とした暗い森から首を伸ばす亀のようにして、輝く原野へ足を踏み入れようとしていた。女と、私はそこで出会ったのである。いや、出会ったなどとはとても言えぬ、まったく一方的な邂逅に他ならなかったが、しかし女もまたそうして私に見つけられるべくして見つけられたという風な、仕組まれた悪戯の神秘があった。これは人類がまだ生まれる前の話。その女は、野の真ん中で、春よう
アスファルトの溝に雑草が生えている。 名も知らぬ雑草。 知らぬ間に生えて、知らぬ間に枯れて、また知らぬ間に生えるだろう。 ただそこに在るだけの生を享受し、そしてまた明日も 惰食を貪り、惰眠に耽り、生きていくだろう。 何もしていないのに、腹が減る。 何もしていないのに、眠くなる。 人間とは、なんて怠惰な生き物だろう。 命の桎梏が、尽きるのことのない欲望の坩堝へ、私を突き落す。 これ、日日是好日かな
轟音と土ぼこりを上げて、そいつは火を吹く悪魔だった。 私たちは機関銃の暴風と迫撃砲の雨をかいくぐり、丘の中腹の塹壕に身を潜めていた。 「おい、水をくれないか」 水筒はすでに空になっていて、私は戦友に助けを求めた。 「少しだけだぞ」 彼は土混じりの苦々しい声で、快く水を分け与えた。きっと妄執となることを分かっていたのだろう。 私は戦場には死が蔓延しているのだと思っていた。 きっとここなら、紙きれの如く死ねるだろうと。しかし私の雲の上の期待は、脳の上をほとばしった甘い痺れであり、
人さらいのような風が吹いていた。南方からやってきたその風は、背を押すように吹き上げて、時折突風のように吹いた。 切り立った崖の、船首の先端に立ち、十六の誕生日を迎えた私は、狩りに使う短剣を腰から引き抜くと、後ろに結んだ髪を切った。突風に乗り、髪は散り散りに飛んでいく。逆光に溶けて見えなくなると、遥かだった。 私は辺り一帯を見渡せるこの崖が好きだった。 しかしハゲ山ばかりが目立つようになって今、郷愁の想いも込み上げなくなっていた。 「カレン!」 私は呼ばれて振り向いた。美し
ヤフーニュースにて、災害時の太陽光パネルのリスクに不安が広がっているという記事を読んだ。 タイトルはともかく記事自体は、災害時に破損するとごみとして処理の難しいパネルの処理対策など、議論する必要があるといっているだけなのだが、それ以上にXなどでの批判者が見るに堪えなかった。 (以下、記事要約) 能登半島地震を受けて経産省やシャープなどが「X」にて太陽光パネルの取り扱いについて注意喚起を行った。内容は「太陽光パネルは、破損した場合でも、日の光が当たると発電をする可能性があるた
舞い上がった粉塵の向こう側で、青年の声が響く。それは分かりきったことを嘆く、感情のない音だった。 「人間は乱暴だよ。」 次第に煙が晴れてゆくと、揺れる影が濃く浮かび上がってくる。 「首が折れてしまった・・・」 青年はまた、感嘆めいた声で呟くも、緊張感の足りない声は、昼下がりのような、どこか間の抜けたのどかさを孕んでいた。私は彼の言葉と目に映る世界のグラデーションに、倒錯めいた気持ち悪さを覚えた。おぼろ気な影だった青年の姿は、いよいよ確かな線を描き出している。その姿は、異形と呼
部屋の灯りを消した時だった。また扉を叩く音がした。 「こんな時間に・・・。」 私はため息混じりにつぶやいた。きっとまたベルだろうと思った。ほかに訪ねてくる人も思い当たらなかった。部屋の電気を点けなおして、工房へ向かった。満月の四日前、広い工房を十分に照らす、青い月光がふたつの窓から差し込んでいた。私は明かりはつけずに急かす音の方へ向かい、ふと足を止めた。扉は二回叩かれた。鈍い音を立てて。その音はなぜか、不吉な音に思えた。扉の先にいるのが、彼ではないような気がした。誰かが騙して
目を覚ますと、日が昇っていた。どれだけ経ったのかも分からないような曖昧な朝の日差し。水槽の底に溜まっていたぬるい水の中にいるような気がした。私はベッドから起き上がって、工房へ向かった。しきりに扉を叩く音が部屋まで響いてきていた。 「なんだ、やっぱりいるじゃねえか。」 無頼のような声をかけてきたのは金髪の好青年だった。背が高く、出口を塞がれてしまう。肩から飛び出した剣の柄が、朝日に煌めいていた。 「ベル、それじゃまるで悪党だ。」 幼馴染に、私は注意じみて言った。 「それで、朝
もし、世界があなたを殺すというのなら 私は、あなたのために ―世界を滅ぼそう 男は木の根に腰を下ろした。その瞬間に男を襲ったのは、抗い知ることのない途方もない疲れだった。体の筋肉は容易く役に立たない機関に成り下がった。甘い汁が細胞の間を満たしていくように、甘美な陶酔に落ちていく。男はそうなると分かっていて、今の今まで休まなかった。意識を保つためだけに、体を動かし続けてきた。ほかに一切の目的もなく、逃れられぬと分かっていて、ただ死から逃れようと歩き続けた。歩けど