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『落ち着きのない男』エッセイ

お日様の光が木漏れ日から直射日光へと好感度が180度逆転する汗ばむ季節になってきたことに少々苛立ちながら、いい加減良い歳なのだからそろそろ落ち着きというものを覚えなければならいとN10309教室の後方で1人反省会を開いている。大学の講義というものは何をしても許されるのはもはや公然の事実ではあるが、僕の態度及び姿勢というものは見るに堪えない浮躁さを繰り広げているに違いない。

講義で使うテキストを見たかと思えば持参した小説に目をやり、そうかと思えばwordを開いて別の講義の中間テストカンペを打ち込み、それに飽きればインターネットでゼミの資料になりそうな論文を探し、ついでに公募エッセイにちまちま励み、ふいに思い出したように窓から蒼い空を眺めやる。傍から見ても、イスに浅く腰かけ背筋をシャンと伸ばしたかと思えば実家のソファーでくつろいでいると見間違うほど脱力足伸びを披露し、続いてぐっと上半身を前傾させ股を180度全開させて机に絡み、しがみ、ホールドしている。自分の落ち着きの無さを巷でよく耳にするADHD(多動性)かと不安がりネットで「大人のADHD診断」と検索しチェックを入れてみるもいたって普通の成人男性だと診断が下る。そら当事者はもっともっと深刻に悩んでいるんだろうなと己の早合点と軽率さを恥じる。

にしても、落ち着きが無くじっとしていられない性分は現代社会のマルチタスク化のビックウェーブにのみ込まれたわけでもなく、ただ単に目の前の事物への集中力を鬼ほど欠いて一所に留まれないだけの飽き性の擬人化だと見てとれる。荒川弘先生は家族の看病と3人の子育て、家事、PTA委員をしながら「黄泉のツガイ」「アルスラーン戦記」「百姓貴族」の3本の連載を抱えているのに僕ときたら・・・と己の凡庸さを呪わずにはいられない。

神!



と、「落ち着きの無さ」をテーマに徒然なるままに書き連ねてみたは良いものの、もう既に書くことが思い浮かばず立山黒部アルペンルート「雪の大谷」の如く高い氷壁に行く手を阻まれている。それもそのはず「立て板に水」文体の父母、小説家の森見登美彦先生とコラムニストのカレー沢薫大先生の本を立て続けに読んでしまったがために、眼前に広がる純白のテキストに突発的に日本語を羅列せずにはいられなかった次第である。もうむりギブ。ここまで読んでくれてありがとう。かしこ。

森見登美彦大先生の本。


カレー沢薫大先生の本。絵描き、字書きの悩み相談界の頂。

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