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私は喘息一年生

喘息になったのは、新型コロナウイルスに感染した後に診断された。
感染した時のしんどさは忘れる事はないだろう。

当時はオミクロンの変異株が流行していた。
初めは咽頭痛。
なんか喉が痛くて、水が飲みにくい。
仕事中、頭痛も始まり悪寒がし始める。
ロキソニンを飲みながら、痛みを誤魔化す。
帰宅後、水を飲んだり、唾を飲み込むだけで激痛
そして嘔吐。
熱を測ると39℃。
〝あ、これコロナかもしれん〟
当時は病院もパンクしていて、なかなか診察はしてもらえなかった。
検査キットを使うと『陽性』
くっきりと見える二本線
職場に電話したものの、喉の激痛でまともに声は出ない。
メールで詳細を打つものの、熱で全く文章が纏まらない。何とか連絡をして、休んだ。
その後、自宅陽性者登録をして療養することになる。

3日間飲まず食わず、喉の激痛で嘔吐、熱は解熱剤を飲んでも下がらない。意識も朦朧とする。
トイレすらまともに出来ない。
走馬灯を見た。亡き祖母と愛犬、そして叔父
〝あぁ…このまま死ぬのかな〟
そう思ってしまうくらい、辛かった。
4日目からは熱が下がり始めるが、咽頭痛が激しく嘔吐。
1週間はまともに飲食はできなかった。
熱も下がり、粥が少しずつ食べることが出来るようになる。
配給をもらったものの、お粥類は全く無い
パスタとレンチン出来るご飯
私が食べる事が出来たのは炊飯器のお粥だけだった。

このまま回復していくと思った最中、咳が出始める。味覚も嗅覚も無い。
咳と共に息切れがする。苦しくて堪らない。

これが喘息の始まりになる。

初診は耳鼻咽喉科、検査でコロナも陰性と診断
『おそらく、咳喘息でしょう。コロナの後になる方多いですから。今は咳が残る方多いので、一時的なものなら良くなります。』
鼻の中を見て、咳を聞いての診察だった。
(こんな感じなのか?)
釈然としないまま、吸入器と飲み薬をもらった。
投薬後、診察。
だいぶ、咳は減った。だが、息切れはする。
『薬をきちんと飲んで、無理せず過ごして下さい。投薬して落ち着けば終わりになります。』

このパターンが半年続いた。現薬されることも無く、吸入器&投薬をしていればある程度楽だった。
(これって、ずっと続くの?落ち着けば終わりって何?人によっては半年で治る人も居るし、何年も続く…元の体調には戻らないってこと?)
薬代も馬鹿にならない…体調が不安定な私はとても不安だった。
まともに働くことは出来なかった。

再就職をして2か月後、息が苦しくなり、近所の病院へ
レントゲンや酸素濃度を測定。
大きな異常は無かった。
ステロイドの飲み薬、吸入器、貼り薬を処方。
その日の夜、呼吸は更に苦しくなり、寝ても座っても苦しさが増す一方。一晩中泣きながら座って過ごした。
翌日、再度病院へ行き、薬の処方し直し、ステロイドと貼り薬は無しになる。
ただ、症状が長いのと呼吸がかなり荒いので、呼吸器科がある病院へ転院することになった。

転院先の病院で、アレルギー検査、血液検査、呼気検査を行う。
血液検査や呼気検査は大きな異常は無く、アレルギー検査はいくつか数値が高いのでものがあった。
『気管支喘息だと思います。聴診では喘鳴は無いです。喘息はお持ちでは無いと言うことでしたので、コロナの後から症状が出始めているので後遺症ではないかと。仕事は休職して下さい。今は喘息を落ちつかせて、身体を休めるのが先です。アレルギー反応が出やすい体質のようなので、食べ物や飲み物、花粉など気をつけて下さい。』

(…え?休職するの…えーと、アレルギーもあるのか。)
不安しかなかった。
会社に診断書を出して1か月休職した。

生活は変わった。私は職場を異動になった。
全力で走ることも大声を出して歌うことも出来ない。
寒い時期は長時間の外出は出来なくなった。
出来ない事が増えた。
医師から控えるように言われる。
味覚や嗅覚は戻ったのは幸いだ。

気圧や季節感の変わり目、花粉症の時期、寒暖差は特に喘息の症状が強く出る。
食べ物も食べられなくなったものがある。

人によって症状の出方は違う
自分にとって合うやり方やケアを模索していく
日々の体調を看ながら喘息と付き合う

初めて喘息になって不安だった
〝いつもの〟日常が変わる

『喘息でしょ?』
かけられる言葉のたった一言がしんどい時もある説明しても理解が得られないこともたくさんある
死なないように発作をコントロールしている

病に罹れば〝死〟が近くなる
その怖さを分からない人は多い
健康に送れている毎日が如何に幸せか、私は身をもって体感させてもらった

大した事ないと思われるかもしれない
それでも、同じように苦しんでいる人に少しでも伝わればいいと思う

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