見出し画像

不登校

学校に行けなくなるのは誰にでもあること
〝当たり前の毎日〟が過ごせなくなる

私は保育園の頃から「行きたくない」子供だった
色んな子がいる中で、居場所が無くて、何をして遊べば良いのかも分からなかった
よく体調を崩し、熱を出して休んだ
あの頃は、今で言う体罰的なことは日常に蔓延っていた
嘘をつけば保育士さんに頬を打たれ、母親には怒鳴り散らされ、何処にも逃げ場などなかった
唯一の救いは祖母の家
その祖母も小1に心筋梗塞で入院し、私は祖母が退院するまで学校に行かなかった
毎日が不安で、母子家庭だったこともあり、常に1人だった
学校に通い始めると団体行動に着いていけず、担任も厳しかったのもあり、「良い子」で居なければならなかった
その方が自分が必要とされていたから
母の再婚も重なり、ストレスは最高値だった
小学校6年間ほとんど学校には行けなかった
胃腸炎になり、熱を出し、どうにもならない毎日の中、「学校」というのが何よりも苦痛

「学校」に行かなければ、母が仕事に行けない
「学校」に行って勉強しなければならない
「学校」は社会を学ぶ所

そう植え付けて、我慢する

中学生になると更に「学校」が嫌いになった
部活に入るとイジメが始まる
休みがちの私の机には花が飾られる
担任に相談すれば、被害妄想
母に相談すれば、根性で行け
学校に行けなくなった中学はからは
「学校に来れないなら、転校してください」
あくまで、〝イジメは無かった〟ということにしたかったようだ
何もかも腐ってると思った
何も信じたくない

転校しても私は変わらず不登校
遠方の山の中の中学校
正直どこも変わらないと思った
その頃、母は離婚
私は当時、再婚相手が大嫌いで夜中荷物を持って自転車で祖母の家に家出していた
気が狂いそうだったから
よく知りもしない男となんで暮らさないといけないのか
思春期の私には気色悪さしかなかった
部屋の中を掃除機で振り回し、全てをグチャグチャにして泣きながら出たあの日は忘れない
そうまでしないと母には何も伝わらなかった
祖母は深夜にも関わらず、察していたのか、起きてくれていた
抱き締めてくれた祖母の暖かさ、香りは今も心に刻んでる

中学生は祖母の家で過ごした
母は出稼ぎに行って生活を支え、私は家で無気力に過ごした
ずっとこのままなのかと虚しく思っていた時に、山の中で子犬を拾った
この出会いが私を大きく変えた

「動物は汚い」と言われて育ってきた
実際共に過ごしてみると、動物には〝嘘がない〟
とてもシンプルなのだ
何て清らかなんだろう 愛しい 大好き
笑えるようになった

だが、不登校は変わらなかった
高校も全日制は無理で、通信制の高校へ
どうしても授業で通わなくてはならない日があったが、何も会話をしなくていいのは楽だった
自分のペースで勉強出来て、日程を組んで授業に出る

高校卒業間近、進路について母と揉めた
母はまた再婚していた
専門学校へ希望を出していた私に、否定の言葉を浴びせるその神経が全く理解出来なかった

「学校に毎日行けないアンタに何が出来る」
「1人暮らしとか生きていけると思ってるの」
「どうせ辞めて帰るに決まってる」

親でも分かり合えない、理解出来ない人は居る
理解してもらおうと思っていたのが、愚かだったんだ

再婚相手が学費を出してくれるらしく、学校には通えた
親元から離れて全く知らない土地で、誰も私を知らない人達の中で過ごすのはとても新鮮で楽しかった
だが、学費の支払いは1年で終わった
私は奨学金を借りて、再婚相手の祖父が援助してくれる形で何とか卒業出来た

〝不登校〟と一言で片付けられる程、中身は簡単ではなく、様々な要因や環境が絡んでいる
ほとんどの子は〝助けて〟が言えない、言いづらい場合が多いのではないかと思う
「逃げ場」は必ず必要
「追い詰める」は不必要
1度固定観念を捨てて、話を聴いてあげて欲しい
理解出来ないなら、子供が穏やかに過ごせる日を手伝ってあげて
親も子もそれぞれの辛さや悩みを吐き出せる場所が増えて欲しい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?