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【自己紹介】なぜ安定企業を辞め家族と離れてまで会社を起業したのか

初めまして!フィンクリース(株)代表取締役の皆越と申します。
前回は「当社の狙い」についてお伝えいたしました。
今回は私の生い立ちから、フィンクリース創業に至るまでをお話しします。

妻と娘2人の家族を寵愛する私が、安定感抜群な電力会社を辞め単身で上京しフィンクリースの立ち上げに至った、創業ストーリーが誰かの一歩踏み出すキッカケになればと思います。

コンプレックスを抱いていた幼少期と両親について

1989年、岐阜県で生まれました。育った田舎は町面積の9割が森林と川といった具合の大自然の中で暮らし、人よりサルや鹿の方が多いんじゃないかと思うような、のほほんとした環境で中学生まで過ごしていました。
そんな暮らしの中で幼いころから私にはあるコンプレックスがつきまとっていました。
それは「お金がなくて、贅沢な暮らしができない」ということ。

今でも鮮明に覚えているのですが、私が小学生の頃「遊戯王」が流行り誰もがそのカードを集めて対戦を楽しんでいました。家に余裕がなかったためカードは買って貰えず、なんとか友達にお願いして、いらないカードを集めて友達の輪に入り遊んだ、そんな幼少期でした。
田舎だったからか、オモチャをもっていたり、家が大きかったり、車が大きいことで一目置かれる、みたいな文化だったことを覚えています。

そんなコンプレックスを抱いている私に対して両親はへっちゃら、田舎で好きなことをして仕事に誇りをもち、熱中していました。そんなコンプレックスと親の姿から「好きなことに熱中して豊かな人生にしたい!!」という思いを抱くようになりました。
そんな価値観で幼少期を過ごしていたこともあり、進学先も親の負担を軽くできないかと考えていた、時TVで「高専ロボコン」を見て高専を知り、ロボット楽しそう!工学や機械について学びたい!そして国立だから学費安い!!と熱い思いを持って(笑)富山商船高等専門電子制御工学科へ入学しました。
結局ロボコン部には入りませんでしたが寮生活5年を満喫して充実した学生生活を送りました。
ちなみに国立高専の学費は5年間で126万円。最近の私立大学の理工学部は1年で120万円前後と聞くため私大の学費1年分ほどで5年も学べるコスパ最高な学校なんです!

安心安定の電力会社へ

もともと卒業と同時に就職を考えていたのですが、やってきたのは2008年のリーマンショック(:_;)。高専といえば選びきれないほどの求人が来ることで有名なんですが求職数は例年の1割ほどに・・・
安定志向の私は「絶対つぶれない安定した大企業にいこう!!
そう決心して電力会社へ就職しました。
電柱に昇る作業員から始まり、電気設備の用品分析やグループ会社の統括業務などいろんな仕事をまかされて着々とキャリアを歩んでいました。
しかし、とある出来事が立て続けに起こり、後に起業するきっかけとなります。

安定企業でも一歩間違えると不幸な道へ

新入社員のころからずっと仲良くしていた先輩で、社内評判はよく出世頭で後輩からも好かれる、そして結婚もしている絵にかいたような順風満帆な人がいました。しかしある日から仕事にこなくなり離婚したという噂を聞き、心配になり話を聞くことに。

暗い表情で塞ぎこんだ先輩はFXで大金を失ったことを教えてくれました。
最初から順調に儲かって2,000万円ほど稼いでいたそうですが、大きくレバレッジをかけたところに突然急激な相場に転じたため、大損を出してしまったようです。
しかも損切りの決断が遅くなったことで、損失は大きく膨らんでしまい、サラリーマンが将来かけて払える金額以上に膨らんでしまったとのこと、、、
奥さんへ正直に打ち明けて、話し合った結果、離婚を決めたようです。

さらに、同じ時期に続けざまにお金に関わるトラブルが別の先輩にも・・・
その先輩は40年近く会社に勤めて退職されたのですが投資詐欺に遭い、退職金を含めて老後の財産をすべて失ってしまったと噂が・・・
悲しいことにねずみ講のような手口に騙されてしまったようで、私を含めた電力会社時代の後輩に手当たり次第「儲け話があるんやが、話ききにこんか?」と誘いの電話をいれていました。
先輩は退職するときの挨拶で「老後はゴルフを楽しんで妻とゆっくり過ごしたい!」と活き活きと語っていましたが、私の所にも勧誘の電話が来た時の先輩は、生きる気力が抜けた弱弱しい声で勧誘をしてきました。

両方の先輩に共通していたのは「お小遣い程度のお金を増やしたい」。そんな思いから始めたことが、リスクを考えずに行った結果、大きくお金を失い良くない方向へ人生が変わってしまったということです。

その2人の人生の変わり方を身近に見て感じたことは、
お金を増やしたい気持ちは大切。ただリスクや詐欺など見極めずに始めると取り返しのつかないことになる。正しいお金の増やし方を学ばないと幸せになれない!
ということでした。

お金で苦労しない人生を送るためにはどうすればいいのか

先輩2人の出来事から、「金融リテラシーの重要性」を痛感したことをキッカケに、幼少期に考えていた「お金で苦労しない豊かな人生」を送るためにはどうすればいいのか考えるようになりました。

その悩みの中で始めたのが親子を対象とした「子供と親が金融リテラシーを上げる教育コンテンツ」の発信活動です。近所にある学童保育を借りて勉強会を行ったりX(旧Twitter)のスペース機能を活用し音声配信を始めました。
正しい金融リテラシーを広めることが自分にとっての学びにもなることや、自分の周りの人が不幸にならないようにと思いスタートしましたが、その中で「お金で苦労しない人生」を送るための結論にいきつきます。

それは「資産運用」でした。
資産運用と聞くと株や不動産を売買して難しそう・・・そんな先入観があったのですが学べば学ぶほど、生きて行く上で必要なツールであることを知ることに。

仏の経済学者トマ・ピケティ著の『21世紀の資本』という本をご存知でしょうか?
本のキーワードとして「r>g」という有名な不等式があります。
意味することは、資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富(r)は、労働によって得られる富(g)よりも成長が早いということです。
これは「資産を持っている人はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」とも言える式になります。

この書籍を読み、幼少期から抱いていたお金で苦労しない人生
すなわち「豊かな人生には資産運用が必要だ!!」と衝撃が走ったことを覚えています。

そして、これがきっかけとなり起業への道へと歩みだします。

オフ会での出会いと起業

Xで「親子の金融教育」として資産運用について発信していると、ニッチですが次第に聞きにきてくれる人も増え、ニーズと手ごたえを実感すると同時に交流の輪も広がっていきました。また、そこから充実感と共に使命感を感じるように。

そんな活動を続けてフォロワーを増やしながら色んな方と繋がっていく中で、オフ会を通じフィンクリースを共に立ち上げる中野と出会うことに。
先ほど記載した先輩の話や、SNSの発信活動について伝えると、中野は強く共感してくれました。また昨今の日本の状況を踏まえると資産運用が一般化していくだろうと考えており、お互い資産運用に課題感があることで意気投合しました。
その後、出会うきっかけを提供してくれた方の後押しもあり、2人で起業することを話し合い、物語が動き出します!

妻から言われた一言で世界が広がる

とは言っても、起業するとなると安定の電力会社を辞めることや、上京するため妻と子供を残して単身で挑戦するなんて話が受け入れられる分けがない、、、、
妻になんて説明しようと悩みながら、想いを伝えることに。

すると予想してなかった言葉を妻からいただきます。
「人生は一回きり、チャンスが回ってくることはとても幸せなことで、チャンスが来ない人、それに気づかない人は沢山いるよ。目の前にチャンスがあるならやってみなよ!」

正直、これを言われた時は泣きました。号泣です。
これまでの活動を見ていてくれたからこそ理解してくれて、応援してくれるとのこと。
たしかに、普通に会社員をやっていたらこんなチャンス巡ってこないだろうなーと改めて感謝すると同時に、妻の心の広さや自分を信じてくれることが素直に嬉しかったです。

単身になることで娘2人の子育て負担がかかること、経済的にも不安定になる可能性が高いことを許容してくれることにも感謝しかありません。
この挑戦を成功させて何としても、妻へ恩返しをしたいです。

義両親の反対

妻の理解は得ましたが、次なる難関が待ち受けていました。義両親への理解です・・・
義両親の実家付近に住んでいることもあり、娘の保育園の送り迎えや夕ご飯を食べさせていただいたりとかなり頼っている状況、、、
そんな状況下で単身でいなくなる。安定企業を辞めてベンチャーに飛び込むなんて話受け入れられるだろうか・・・と不安に思いながら打ち明けました。

結果、、、大反対、理解できない。と一旦持ち帰ることに・・・
義両親が怒るのも当然で、安泰の電力会社に勤めていたからこそ将来も心配することなく娘を託すことができた。そう言われても仕方がありません、、、
なにより心配されたのは娘2人への影響について。親がいないことで悪い影響を与えるのではないかと問われて何も言うことができませんでした。

起業への気持ちが高まっていただけにかなりヘコみましたね。

ただ、ここでチャンスを逃してはならないと再度、義両親へお願いすることに。
誠意をもって気持ちを伝える場を設けて頂き2時間ほどかけてしっかりと説明しました。
子供が不安にならないように、さみしくならないようにTV電話をかかさずすることや定期的に会うこと。どんな内容で起業するのか、などなど伝えて許しを得ることができました。

ベンチャーの道へ

私が安定した電力会社を辞めて、東京でベンチャー企業を立ち上げたのは、「世界を変える!新たな価値創造を!」のような何か大それた理由があったわけではありません。
ただ、子供の頃から抱いていた「お金で苦労しない豊かな人生」を、自身もそして自分に関わる方々に現実のものにしたいという一心だけでした。

今はまだ、大きな成果を発表できる段階ではありません。私たちの事業が、具体的にどのような形で社会に貢献できるのか、それを一つずつ形にしていく作業がこれから始まります。
しかし、この不確かな道のりには、私自身がこれまで経験したことのないような可能性が広がっていることを感じています。

家族を思い、将来を案じるあまり、安定を選びがちな私が、なぜリスクを背負ってでも挑戦したいと思ったのか。
それは、妻と娘たちが、私の夢を信じて支えてくれたからです。
そして、この挑戦を通じて、いつかは家族に恩返しができると信じています。

ここに至るまで理解してもらえない人もいましたが、私はこの道を選びました。
なぜなら、夢に向かって一歩踏み出すことの大切さを、娘たちにも教えたいからです。
成功か失敗かは分かりませんが、挑戦する勇気を持つことが、何よりも価値があると私は信じています。

このブログを読んでくれたあなたが、もし何か新しいことに挑戦しようか迷っているなら、一緒に一歩踏み出しませんか?
未知の世界への一歩は確かに怖いかもしれませんが、その一歩が、私たちの人生を豊かにする第一歩になるかもしれません。
フィンクリースと共に、私たちの未来を形作っていきましょう。

長文となりましたがみて頂きありがとうございます。

次回は、共同代表の中野が起業にいたるまでの経緯を紹介いたします。
お楽しみに!



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