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映画『わたし達はおとな』感想


『わたし達はおとな』が扱う題材はジェンダー間、世代間問わず広く認識されていたが、これまで放置されてきた問題と言える。

本作を観て、#Metooの一環であり、断じて許されないと思う人がいる一方で、無知で世間知らずな優実にも非があると彼女を攻める意見もあるだろう。当然多くの考え方があり、意見の相違があるのも理解できる。

間違いないのは登場人物達が皆未熟であり、犠牲者はいつの時代も女性であるということだ。このジェンダー間の不平等、特に中絶に関しては現在アメリカでは法を巻き込み大論争が続いている。


いわゆる胸糞映画と言われている本作だが、
むしろその独自性は近年の邦画の中では群を抜く真に迫った会話劇にあり、単調なストーリーからは想像もつかないほどの情報量、見事な脚本、演出、編集に裏打ちされた野心作と言って良いだろう。

真に迫るのはやはり喧嘩のシーンだ。慎重な言葉の取捨選択と冷静な論理展開に全神経を集中させ、目の前の敵をいかに論破し非を認めさせるか。そんな喧嘩の最中の直哉の打算的な思考回路がありありと見えてくる。その臨場感を生み出している藤原季節、⽊⻯⿇⽣は本当に素晴らしい役者だ。

そして驚くべきは大胆な編集や撮影だろう。
現在進行形のシーンではスクリーンはやや縮小し、優実や直哉はクローズアップで映し出され、圧迫感、緊張感が半端ない。そこにめまぐるしい編集が加わり、観客は確実に混乱、手探りで立ち位置を確認するのは優実だけではない。

演劇にはない編集や撮影で効果的に観客の心理を削ってくるのは演劇出身の加藤拓也監督の性格の悪さ?こちらとしてはただでさえストーリーで胸糞なのに。目が回りそうだ。

結局、直哉は何の責任を負うことなく優実の前から姿を消した。そしてこの結末は彼の思惑通りなのも確か。皮肉なのは物語を駆動しているのが紛れもなく直哉の暴力性であり、それを嫌悪しながらも最後まで傍観者で居続ける自分。でも目が離せないのも事実。ああ、やはり胸糞。


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