映画『秘密の森の、その向こう』、小さな愛の物語。
セリーヌ・シアマ監督はこれまでセクシュアリティに揺らぐ人物を繊細なタッチで描いてきた作家という印象が個人的には強い。だから彼女の新作『秘密の森の、その向こう』が、8歳の少女が同い年の母親に出会う物語と聞いてこれは意外だなと思った。
8歳という年齢は、おおよそ人の死を理解できる頃だというが、その頃の自分を思い出すと、ネリーとマリオンがいかに聡明で、大人であるかがよく分かる。
ネリーとマリオンは森で偶然出会い、同い年の親子であることを受け入れる。驚くほど素直に。それは彼女達にしてみればある意味ごく自然なことだったのかも知れない。そして限りなく直感的なものだったのだと思う。
直前に家を出ていった母親、亡くなった祖母との思いがけない再会。もしこれが夢であるならば、ずっと覚めずにいて欲しい。ネリーはきっとそう思っているだろう。そしてこうも思っているはずだ。
どうして愛する人は皆いなくなってしまうのかと。
少女の「さようなら」と「こんにちは」の物語は宮崎駿監督、細田守監督の影響を公言しているシアマ監督だけあって、まるでおとぎばなしのように神秘的だ。
ネリーとマリオンは大はしゃぎでクレープを作り、祖母が作ったまずいスープをべっと出し、ボートで冒険に繰り出す。
奇跡とも言えるこの家族の再会は実にたわいのない日常の風景のようにも見える。しかし少女たちは目の前の相手を喜ばせたい、笑わせたい、信じたいという想いで、その刹那を生きているのだ。その姿にわたしは心打たれてしまう。
シアマ監督作品は、おそらくこれは意図的なものであると思うが、男性がストーリーの中核をなすことはほとんどない。『トムボーイ』や『水の中のつぼみ』では男達は群れをなし力ずくで、『燃ゆる女の肖像』では政略結婚で一方的に女性をねじ伏せようとする。しかし、本作においては暴力や封建的制度に依存する男性性は排除され、自律した女達の美しさがより際立っている。
祖母、母親、娘。
3代にわたる女達の物語は繋がっているようにわたしには見える。祖母は病気で足に障害を抱え、母親マリオンも足の手術をまさに受けようとしていた。そして、娘ネリーも同じ病気を発症するかも知れない。
もし、女達の物語が繰り返されるものであるならば、きっとネリーもそれを業として受け入れなければならないだろう。しかし祖母や母親がいかなる時も自律し、困難を乗り越えてきたことをネリーは既に知っている。
『秘密の森の、その向こう』は愛する人を失うこと、自分の身体の一部や機能を失うこと、そうした喪失感を抱えた家族の再会・再生の物語だ。それは紛れもなく親子の愛の物語でもあるのだ。
そしてその愛は季節の移り変わりとともに鮮やかさを増す、秋の紅葉のように美しく、果てしなく深い。
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