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かしましかしましまし Vol.24(藤居)〜波を聞いてくれ〜 VIII 最終回

こんちわ。昨日今日とお天気続きで気持ちいいですね。ただ、秋晴れとかいいたいところなんですけど、まだ少し日差しが暑いです。残暑です。なので秋といえば〜みたいな話をするには依然相応しくはないと思いますね。

秋といえば読書の秋ですね。(!)

読書してますか皆さん。読書はいいですよ〜ほんと〜に...
ある程度しっかりした文章なら読書してるだけで頭良くなります。これほんとです。

巷にある速読術系の指南書は普段の読書が早くなる、という意味では全部まっぴらの嘘なので買わないように。地道にコツコツ読むのが吉です。

苦行だと思って始めちゃうと続かないので、「本屋大賞あたりをとってる本」で縛ってとりあえずその1冊目が面白い本である確率を上げて、それを世の中のみんなも認めてるという安心感も得た上で、書店で適当にジャケ買い。それで門は開かれます。

意外と簡単にハマれますよ、読書。

未解決事件のwikとか読み漁るのも面白いんですけどいかんせん金がかかってないものだから、多分自分でも気づいてないくらい読み飛ばしちゃってると思うんですよね。そういうの。5分後くらいにはその詳細とか全然頭に入ってなくないですか?ざっくりした構成とかは覚えてたりしますけどね。

ちなみに僕が好きな未解決事件はこれです。(ヒジョーに不謹慎ですみません。)

サムネ怖いっすね...

これ映画にもなってるのでそちらも是非。みんな大好きアイアンマンが新聞社の不良記者演じてますよ。

話がそれました、読書ですね!

近頃川崎駅前のDICEというショッピングセンターに入ってたTSUTAYAが、改装して別フロアへの移転に加えてでっかい本屋コーナーを併設したんですよ。

そこがまあ居心地のいいレイアウトなんですけど、今でも夜の22時まで営業してるのでちょくちょく見に行くんです。

ところで、川崎駅の周りにはショッピングセンター的な複合施設がアホみたいにたくさんあります。

僕が今数えてみたら6つありました。多すぎる。

僕はずっとラゾーナって場所を推してたんですが、先のTSUTAYAの改装もありDICEもかなりいい感じですね。皆さんも川崎へお越しの際は全ショッピングセンター的な複合施設を回って見てはいかがでしょうか。

脱線しました!そのDICEの本屋コーナーで昨日「BEASTERS」で有名な板垣先生の短編漫画「ボタボタ」を買って読みました。あんだけ活字前提で読書読書言ってたのにマンガの話にすり替えてすみません。

ただこれ、マジでおすすめです。ぼくBEASTERSはまったくよんだこと無くて初板垣作品なんですけど、天才天才言われる所以がこの一冊に詰まっているのでは無いかと思えました。

この鼻血出しながら目をキラキラさせてる女性が可愛かったり狂気的だったりするんですが、そういう感情の動きの描かれかたがかなり手塚治虫っぽくて読みやすいです。

そんな感じで説明は端折りますが、この読書メーターってアプリで読んだ本はあらかた記録しておりますので、また興味を持っていただいた方は見て見てください、フォローも大歓迎です。漫画は読んでもだいぶ投稿サボってるんですけれども... 

そしたらそろそろ本題の方に行こうかと思います。最近はこのつなぎかたもテキトーになっちゃってる気がします。こじつけるのも苦労が伴うのです。若いうちは苦労は買ってでもしろという格言がありますが、皆さんはどう思いますか?

今日はおまけにFilmlandのTwitterを貼っておきます。フォロー頂ければ最新記事が毎日更新されるのでおすすめです。ライブ映像や練習風景、バンドの最新情報がもれなくチェックできます。でもフォロワーがどうとかそういう数ばっかり気にしてんのも疲れちゃいますね。なのでねぎらいも込めてフォローしてください。

さて、前回はこの歌詞における核心に触れる内容を取り扱いました。

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バースはこちら、Bになります。

前々回から引き続きこのほとんど最難解とも言えるバースをチクチクと崩していきました。

そして辿り着いた論題が、「語り手」( I )と「彼ら」( You )の関係性でした。

今まで徹底して物語を観測し、語る側に居続けた( I )と「操り人形」と化し「死者」に寄り掛かり安寧を求めた「彼ら」( You )は決して同じ舞台で交わる存在ではありませんでした。

しかしこのBでは、それらがお互いの存在を「知っている」と告白するのです。

しかもずっと前(This is so long! )からです。

そこで僕の独自の考察を経て辿り着いたおよそ唯一無二と言える結論は、「語り手」( I )と「彼ら」( You ) が同一人物であるというものでした。

同一人物であれば「語り手」と「彼ら」はお互いをもちろん、心の中まで包み隠さずに知っていますよね。それではなぜこのようにその人格が分離する必要があったのか。

それは単純明快です。「彼ら」側の人格はいわゆる嘘の人格だからです。

この「嘘」についてここに至るまでいろんな場面で考察してきました。「音だけを綺麗に鳴らす操り人形」、「淡色のコートをまとい」、「死者にもたれかかるようにして生きる」、「彼ら」。

ここには本質の象徴である太陽に拒絶されたことからも明らかなように、自分を騙し周囲に同調する、自分に嘘をつき続ける人々という暗示を見出すことができます。

こんな「彼ら」にはその打算的な生き方を遂行するうえで、必ず求められるスキルがあります。それが客観性です。

今自分がどう見られているのか、社会で一体どういうポジションにいるのか、など、常に自分をモニタリングするような感覚。それができないと実は周りと同調することは困難なのです。

つまり、そう、ここまで読まれた方はお気づきかもしれません。この常に自分をモニタリングする存在が「語り手 ( I )」なのです。

この( I )は客観視に徹底する主体そのものです。つまり本質なのです。

しかし客観性を保ち続けないといけない( I )も、嘘の人格である( You )に対して歌詞中で時々意思を持ちますよね。これこそがこの歌詞の1番のエモーショナルな部分だと思うのです。

周囲を気にして自分を騙し続ける人々の中で、燻り、叫びを上げる本当の自分。「語り手」は紛れもなく、自分自身に語りかけていたことになります。

そして最終局面です。

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「渇いた靴」を濡らす生憎の雨。


「淡色のコート」に降る埃を撃ち落とす生憎の雨。


「周囲と同化しなければいけないはずの自分」に降り注ぐ”生憎”の雨に愛を。


「縫い目にそびえる墓地」で自分を捨てたお化けに愛を。


「積まれた石ころ」で自分を潰したお化けに愛を。


「寄りかかる、嘘に塗れた自分」を拒絶したお化けに愛を。



そんな「本当の自分」を社会に示す行為はやっぱりとても疲れてしまう。
だからそんなカタルシスの中で、急速にスピードを上げるビートの中で、紛れもない本当、本音をぶちまける。

It's so dead!!

終わり


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