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猛暑もぶっ飛ぶオススメホラー映画10選

 連日の炎天下の折、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。私は北海道旅行で人生初の骨折を経験したため、日がな一日部屋の中で高校球児たちの奮闘ぶりを眺めるという何ともシブい隠居生活を送っておりました。

 まあそんなことはどうでもよく、夏といえばホラーホラー映画ですね。というわけで今回は支配人セレクトのホラー映画を10本ほどご紹介しようかと思います。

 とはいえ『リング』『呪怨』といった超有名作を列挙するのでは芸がない。無死満塁の局面で我々が本当に見たいのは安心安全な送りバントですか?いやいや、蒼穹を穿つ本塁打に決まっているでしょう。しからば、ここぞとばかりに狙い澄ましたニッチでアシッドな「隠れた名作」をご紹介いたしましょう。

 それではレッツゴー!


①黒沢清『蜘蛛の瞳』

 『蛇の道』といい『復讐』シリーズといい、哀川翔を主役に据えたVシネマ時代の黒沢清は本当に冴えまくってますね。中でも『蜘蛛の瞳』は単純明快な破滅劇でありながら全編に異様な空気が漂っています

 復讐を果たし終え、燃えカスのような生活を送っていた主人公の新島(演・哀川翔)。彼に「ウチで働かないか?」と持ちかけたのが小さな会社を営む岩松(演・ダンカン)でした。新島は岩松の会社で働き始めるが、徐々にキナ臭いできごとに巻き込まれていきます

 本作の不気味さは岩松の不透明な存在感によってもたらされているといっても過言ではないでしょう。一見してとっつきやすそうなのに、内面がまったく見えない。なぜ彼は新島を誘ったのか?目的はあるのか?何もわからないまま物語だけが進んでいく。ホラー映画の絶対条件とは、何かが「わからない」こと。これに尽きます。その点で本作は非常に秀逸なホラー映画であるといえるでしょう。

 黒沢清の代表作『CURE』でも、街に伝播する怪異の正体は終ぞ掴み切ることができません。そしてラストのあの衝撃的なショットへと辿り着くわけです。「わからない」という人間にとって耐え難い状況を映像の上にありありと露呈させてしまう黒沢清はやはり稀代のホラー映画作家なんですね〜。

②キム・ギヨン『下女』

 中流家庭が雇った貧乏なハウスメイドがやがて家庭を乗っ取り、狂わせていく…アレ?なんかどっかで聞いたことのあるあらすじですね。そう、韓国映画界の巨匠ポン・ジュノの傑作ブラックコメディ『パラサイト 半地下の家族』です。

 ポン・ジュノは明らかに本作を下敷きにして『パラサイト』を撮ったと断言できます。韓国人の友達に『下女』知ってる?と尋ねてみたら「あっちじゃかなり有名だよ」とのこと。後世に残るホラー映画のマスターピースが60年代にして堂々と爆誕していた韓国、すごすぎる。

 一家の父親はうっかりハウスメイドとアダルトな蜜月関係を結んでしまう。そこから家庭の崩壊が始まります。余談ですが、家族という最も自意識に近い共同体の中に「異物」を招き入れたことによる悲劇を描いた映画でいうと深田晃司『淵に立つ』アンドレイ・ズビャギンツェフ『父、帰る』なんかもいい例ですね。

 さて、心霊スポットや地縛霊といった概念が端的に示すように、負のカルマは特定の場所に滞留しがちです。本作では家に設られた階段がそれに該当します。ぜひ注目しながら見てみてくださいね。

③ヤン・シュヴァンクマイエル『ルナシー』

 『不思議の国のアリス』の最も恐ろしい映像化作品として有名な『アリス』。誰だこんなものを撮った奴は!はい、ヤン・シュヴァンクマイエルでございます。

 シュヴァンクマイエルは実写とストップモーションアニメを織り交ぜた奇妙な作風で知られる監督です。「キモい映画ランキング」みたいな企画ではよく『オテサーネク』なんかが槍玉に挙げられていますね。

 そんなシュヴァンクマイエル作品の中でも屈指の気持ち悪さを誇るのが本作。母親の死を契機に暴力的な幻想に取り憑かれるようになってしまった主人公が、マル・キ・ド・サドを名乗る男の口車に乗って怪しげなセラピーに参加するという筋立てです。タイトルの「ルナシー(lunacy)」が英語で「狂気」「精神錯乱」を意味する通り、悪夢のような映像が延々と続きます

 無論、本作でもシュヴァンクマイエルお馴染みのストップモーションアニメが導入されているわけですが、これが本当に気持ち悪い。視覚・聴覚はもちろんのこと、嗅覚・味覚・触覚をもゾワつかせる映像の暴力。まさに五感の陵辱。生肉が部屋中をペチャペチャと這いずり回るシーンが今でも脳裏に焼き付いています。

④ダニー・ボイル『サンシャイン2057』

 ダニー・ボイルといえばサブカル映画の殿堂『トレインスポッティング』の監督ですが、以外にも作風は手広く、ゾンビ映画の名作『28日後…』なども手がけています。そんなダニー・ボイルが撮り上げたSF巨編が本作。

 太陽活動が急速に衰え、世界丸ごと氷河期に突入してしまった地球。そこで考案された打開策は「世界中の核爆弾をかき集めたロケットを太陽にぶつけて太陽活動を再活性させる」というものだった。かくして世界中から核爆弾と優秀なロケット乗組員が集められました。地球の危機を救うために…

 あらすじだけ読むと『アルマゲドン』のようなエモい感じを想像してしまいそうですが、物語の筆致は終始陰鬱です。作戦の失敗はそのまま地球の終焉を意味するため、乗組員たちは自らの死をも顧みず作戦に奉仕します

 哲学者のサミュエル・シェフラーは『死と後世』で、人間の生が「死後も世界が続いていく」という実感によって支えられていると述べました。本作の乗組員たちが自らの犠牲を自覚しながらも作戦を遂行できるのは、そうした超個人的なスケールの信念があるからでしょう。

 …でも、そんなのってあまりにも超然としすぎていて怖くないですか?人間vs自然という構図のはずが、まるで神々の争いを目撃してしまっているかのような恐ろしさがこの映画にはあります。

⑤ダーレン・アロノフスキー『π』

 数学の問題だろうと、株価の変動だろうと、目の前にいる誰かの感情だろうと、あらゆる事象はすべて数式によって理解可能なのではないか、という観念に取り憑かれる経験はおそらく誰にでもあるんじゃないでしょうか。実際には、未解決の数学問題は山ほどあるし、株式市場は今日も投資家を地獄に叩き落としているし、何気ない一言で誰かを傷つけているわけです。

 本作の主人公は「森羅万象は数式である」という厨二病的なオブセッションを抱えたまま大人になってしまった男です。そのせいで彼はマトモな社会生活を営むことができません。

 「普通の世界」から宙ぶらりんになってしまった男が向かう先は、数字だけで構成された狂気の世界です。そこではアシッドなテクノミュージックが鳴り響き、激しい燐光が幾度となく瞬きます。まさにサイバーな地獄

 作品の雰囲気としては『serial experiments lain』『ブギーポップは笑わない』あたりの90年代末深夜アニメに近いですね。アノロフスキーの代表作『ブラックスワン』も明らかに今敏『パーフェクト・ブルー』を意識したものでしたから、元々日本のアニメが好きな人なのかもしれませんね。

⑥細田守『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』

 アニメの話が出たので1本くらいアニメ映画も挙げちゃいましょうか。『時をかける少女』『サマーウォーズ』で国民的人気を誇る細田守が手がけた、国民的人気漫画の劇場版作品です。しかし評価は非常に悪い。というのも本作が『ONE PIECE』の看板に似つかないホラーチックな仕上がりになっているからです。

 とある島にやってきた麦わらの一味は、オマツリ男爵という男が与える試練をこなしていきます。しかし徐々に一味の間に険悪な雰囲気が。この島、何かがおかしい。そんな予感の高まりとは裏腹に、一味の仲は悪化の一途を辿っていきます

 原作者の尾田栄一郎がブチギレたとの逸話も残る本作。麦わらの一味を固く結ぶ絆に綻びが生じるということ、それはある意味『ONE PIECE』世界の根底に揺さぶりをかけるタブー的行為なのでしょう。だから怖い。

 そういうメタ的な怖さはもちろんのこと、物語終盤ではオマツリ男爵の陰謀の「正体」が明らかになります。その恐ろしい造形と構造たるや、並大抵のホラー映画では太刀打ちできません。

 細田守、頼むから次はホラーを撮ってくれ。

⑦ジョン・フランケンハイマー『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』

 今ある人生を捨てて、全く別の誰かになり代わりたい。ふとそんな欲望が頭をよぎったことはありませんか?

 本作は、平々凡々なサラリーマン生活を送っていた男が、死んだはずの友人から送られてくる手紙に誘われ怪しげな手術を受けるまでの過程と、その後の悲劇を描いた作品です。

 美容整形が一般化したり「なろう系」が一大ムーブメントを起こしたりしていることからもわかる通り、昨今では別の何かになること、つまり過去の一切合切を都合よく捨て去ることへのハードルが非常に下がっています。

 しかし本当に「一切合切を捨てる」ことなどできるのでしょうか?転生したところで記憶は残ります。そしてその記憶が足を引っ張り、まっさらなはずの第二の人生に不気味な風穴を穿つのです。

 自由には責任が伴う、なんて格言がありますが、本作が言わんとしているのもまさにそれです。転身なんていいモンじゃないよ、今ある生をしっかり全力でプレイしなさいよ、という。

 荒唐無稽な怪奇ホラーに臨んだつもりが目の前の現実を直視させられるという、とんでもなく性格の悪いホラー映画です。

⑧トミー・ウィルコラ『処刑山 ナチゾンビvsソビエトゾンビ』


 やっぱり一本くらいゾンビ映画の枠がないとな…ということで用意しました、とっておきのゾンビ映画を。

 本作、実は『処刑山 デッドスノウ』という作品の続編なんですね。『デッドスノウ』は『13日の金曜日』『死霊のはらわた』『キャビン・フィーバー』まで連綿と受け継がれる「浮かれ大学生虐殺モノ」の系譜に連なる作品で、冬の山荘を訪れた大学生たちがゾンビに次々と惨殺されていきます。

 物語終盤、そのうちの一人の男が片手を失う大怪我を負いながらも命辛々雪山から逃げおおせるのですが、最後の最後でゾンビに襲われてしまう。そこで『デッドスノウ』は終幕します。

 しかし男は死んでいなかった!というのが『ナチゾンビvsソビエトゾンビ』の物語。男はゾンビとの取っ組み合いを演じた果てに気を失いますが、後日麓の病院に搬送され目を覚まします。

 けど、アレ、え…?

 失ったはずの右腕がついてる…!

 悲しいかな、男は自分のそばにたまたま転がっていたゾンビの腕を医者によって縫合されてしまっていたのです。

 あまつさえ彼の右腕にはとんでもない力が宿っていました。死体をゾンビとして蘇らせることのできるという能力です。男はたまたま手に入れた能力をフル活用して迫り来るナチゾンビ軍に立ち向かいます。いや、もう設定の勝利ですよね、コレは… 

⑨パークプム・ウォンプム『心霊写真』

 最近、アジアのホラー映画がアツい!『呪詛』『哭悲』『女神の継承』!その兆しはゼロ年代初頭からして既に見えていたといえるでしょう。その代表格がタイ発ホラー映画の本作です。

 本作の良さはなんといっても心霊ホラーとサイコホラーの合わせ技。オバケが鏡にスゥ〜ッと映り込むところなんかは『リング』のような古典的Jホラーを想起させますが、一方で物理的危害を加えてくるあたりは『ミザリー』に近い。両者の怖いところを同時にぶつけてくる邪悪極まりない一作です。

 恐怖描写と並行して展開される物語もツイストが効いていて非常にファンタスティックです。霊障に悩まされる主人公たちは果たして被害者なのか、あるいは…

 ちなみに本編内に心霊写真が出てきて、それらを「こんなもの偽物さ」と一笑に付すシーンがあるのですが、実はこの心霊写真がですね…いえ、詳しくはネタバレになってしまうのでやめておきましょう。

 私から言えることは一つだけ。エンドロールまでしっかり見届けること

⑩カルロス・レイガダス『闇のあとの光』


 映画というのは豪胆なようで繊細なものです。

 たとえばどれだけ幸福を志した映画であっても、たった一つの所作や写り込みで何もかもが台無しになってしまいます。言うなれば水を張ったコップに一滴の絵の具を垂らしたときのように。だからこそ映画監督はしばしば助監督の肩を叩くわけですね。「あそこのアレをどかしてくれ」と。

 しかしもちろん、この作用を逆手に取ることもできるわけです。劇中にたった一つでも不気味なショットがあれば、たとえその後のショットが何気ない日常を映したものであっても、どこか不安定なイメージが持続します。本作はまさにそういう映画です。

 冒頭、真っ暗な廊下を監視カメラが見下ろしています。奥のドアが開き、何者かが入ってくる。そいつは形こそヒトに似ていますが、禍々しい角が生えていて、全身から赤々と輝きを放っています。こいつは一体何者なのか?どういう意図でここに現れたのか?一切の説明がないまま場面が切り替わります。

 そこから展開されるのは、軒先でボードゲームに興じたり、ログハウスに泊まったりといった、きわめて順当に市民的な日常の一コマ。しかし冒頭の強烈な異形のイメージが、何気ない生活風景のショットにも不安の影を投げかけます。そこには何もいないはずなのに、常に何かがいるような気がする。なんなら彼らの生活を淡々と眼差すこの「カメラ」ってのも、一体誰の視点なんだ?

 恐怖は対象の不在によってより妄執的に強まっていきます。本当に何でもないはずの映像なのに、なぜか怖くて仕方がない。もう一度あの異形が姿を見せてくれたらどれだけ安堵できることか…

 映画の構造を巧みに利用した、鮮烈なホラー映画です

 さていかがだったでしょうか?今回は普段あまり取り沙汰されることのない作品をメインに取り上げてみました。

 手前味噌ですが、あちこちの媒体で開催されている「ホラー映画特集!」みたいなものにやや食傷気味だった方々にも楽しんでいただけるラインナップになったかと思います。

 上に挙げた作品を清涼剤に、酷暑の夏をどうにか乗り切っていきましょうね。

 それでは今回はこの辺で。最後までお読みいただき、ありがとうございました〜。

(文責・「第8電影」支配人・岡本因果)

 

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