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【一人暮らしの徒然】思い出しすぎず忘れすぎず

 四月の同人イベントに出す折本の原稿が捗らない。着想を使い切って、「降りてくる」のを待っている状態だ。ただ手をこまねいていても仕方ないので、その他にできることをする。
 結衣子は折本のテスト印刷をすることにした。プリンタも一人暮らしを始めた部屋に運び込んでいたが、電源を入れて動かすのは実に3ヶ月ぶり。直前に慌てたくないので、あらかじめプリンタの操作を思い出しておく。
 ああでもないこうでもないと試行錯誤の末、1時間経って無事にカラー印刷ができた。フォントサイズや画質も申し分ない。ならばよし、今の文字数を維持して原稿作成を続ければいい。
 9時すぎに母と落ち合って、車で買い物に出た。テレビは震災特集一色だという。そうだろうな、と結衣子は思った。一人暮らしの部屋にテレビはないし、今のところSNSも見ていないから、自発的に意識する以外、震災の情報には触れていない。
 大きな100円ショップに行って、イベントの設営に使えそうなものを次々と買う。ミニイーゼル、カードスタンド、コインケース、メモクリップ、ポチ袋など。
 今度のイベントのスペースは、ソーシャルディスタンスを意識してか広めに取られている。結衣子の数少ないサークル参加経験と照らし合わせても、コロナ禍以前の倍はある。色々小物を買い込みはしたが、スペースは頒布物が占める割合こそ重要だ。はあ、原稿がんばろ。今のところまだ次の着想が降りてこないけど。
 その後も色々と日用品や食料品を買い込み、一旦実家に戻って夕食を取ったりしてる内に夜になった。どこかのタイミングで無意識にアクセスしたSNSのタイムラインに、14:46の黙祷の瞬間を写した写真が現れる。ぐっ、と視界が潤んだ。
 19時過ぎに母に送ってもらって、満載の荷物と共に一人暮らしの部屋に帰り着く。買った物を整理した後、結衣子は押し入れから一つのパンパンに膨れたリュックサックを取り出した。3月に入った頃からやろうやろうと頭の片隅に留めては置いたのに、結局今日この日まで延びてしまった。
 常備しているウォレットサイズのほぼ日手帳の巻末には、「もしもの時のために」と題して非常時持ち出し品リストのページがある。去年も同じ手帳を使っていた結衣子は、防災の日がある9月にそのリストを参考にしてあらかたのものを用意し、リュックに入れた。以来、3月と9月にはそのリュックを点検すると決めている。
 500mlのお茶のペットボトルと非常食のカロリーメイトを新しくする、と脳内のリマインダーに留め置く。免許証と保険証のコピーを文房具のノートに挟んだ。財布から千円札2枚と10円玉を5枚取って、ポーチに入れておく。ありとあらゆるものが入って、リュックははち切れそうだった。あらかた点検を終えて押し入れに戻そうとして、思い直していつも目につく壁際に置いた。これが、結衣子の3月11日だった。

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