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「死にたい」という母

僕の母は不安定だ。
多分、というか確実にADHD的な何かを持っているんだと思う。

その性格が原因で学生時代は人間関係に苦しんでいたらしい。

僕は息子として母が不安定なことを察していた。8歳くらいの頃にはハッキリとした違和感を持っていた。
でも別に生活は出来ているし、母に対して怒りを感じたこともない。

だって僕のことを無償の愛で包んでくれていたし、何よりも大切な存在として扱ってくれていたからだ。
もちろん「過保護すぎだろこの人・・・」と感じたことは何度もある。いつまで子ども扱いしてんだよと呆れたことだってある。

それでも、愛情だけは常に感じていた。僕のことを信頼しているのも伝わっている。

僕は生まれた時から父親がいないから、親と言えば母しかいない。
そんな母は何よりも大切だし、悲しんでほしくもない。

何一つ文句などあろうものか。

「あなたのおかげで僕がいます。ありがとう。」という気持ちだけは忘れないようにしているつもりだ。

どれだけ不器用な料理を出されても、お母さんの作る料理は世界で一番あったかいし、「おかえりなさい」の声を聞けば安心する。

僕が大学進学で実家を出る時、1カ月前から母は泣きじゃくっていた。
その姿を見て「申し訳ないな」と思いつつも、これだけ僕のことを想って愛してくれる存在の尊さも知った。

そんな母だが、性格のせいで勘違いされることもしばしばだ。
ADHDぽいと前述したが、分かりやすくいえば「超ヒステリック」と言える。

・気に入らないことがあれば、すぐ表情に出す。

・感情的になって自分の気持ちを叫ぶだけ叫び、相手の言葉を聞かない。

・被害者意識が強すぎて、メンタルが不安定

この3つが僕の母を表す主な特徴である。
んー、自分の親じゃなかったら、嫌いになっているかも…。

この性格が原因となり、親族内で揉め事を起こしている様子を見たことだって何度もある。

その度に母は言うのだ
「私のことなんて誰も分かってくれない。」
「私だけを悪者にしてる。馬鹿にしてる。」
と。

実際、僕の母は親族内で”下に見られていた”と思う。それはなんとなく空気感で察することができた。

僕は「そんなこと言わないで」と声をかけることしかできない。
どんなに頑張っても、この人が背負っている悲しみを解消することは無理だろうなと察していたからだ。

母がヒステリックモードに入った日は、とてつもなく悲しい。
元気を出してほしいと思って好物のモンブランを買ってあげても無駄。うんともすんとも言わずに閉じこもってしまう。

そんな母と共に暮らしてきた。歳を経るに連れて、いつの間にか親族はバラバラになっていた。
それでも母は、実家の飲食店を一人で経営しようと奮闘していた。ひたすらに不器用ながらも頑張っていた。

周りから「あなたじゃ経営厳しいよ」「大人しく店を畳んだほうが良いんじゃない?」と言われてもへこたれず、気にしないふりをしながら母は力を振り絞って生きていた。

そんな日々が続く中、コロナ禍が襲い掛かる。
当然のごとく、実家の飲食店は相当なダメージを受ける羽目となってしまった。

どれだけ頑張っても店に人が来ない。終わりの見えないトンネルは、母の心を徐々に蝕んでいく。
僕がどれだけ声をかけてもサポートをしても、元々のネガティブな性格は根強いものだ。良くなる気配がしなかった。

そして母は一緒に暮らしている僕に対して”ネガティブな共感”を強いるようになる。

「私がダメだったからこうなったんだよね?」
「こんな性格の人が母親で嫌でしょ?」
こんな言葉を毎日のようにかけられる日々。息子として一番聞きたくない言葉ばかりをピンポイントでかけてくるのだから困ったものだ。

しかしずっと落ち込んでいるわけではなく、日によってテンションが違い過ぎるのも問題点だった。躁うつのようなものだろう。
躁状態のときはすごくパワフルな母なのに、うつ状態のときは世界で一番不幸みたいな表情をしている。

でも僕が突き放したり、怒りを爆発させてはいけない。振り回されてもいけない。そう思って母をなだめるようにした。

母が悲しむ⇒僕が励ます⇒また母が悲しむ⇒励ます…

このループは「母の僕への依存度」を高めることとなる。
息子は何を言っても受け入れてくれるだろうという安心感があるのかもしれない。でも僕にとっては苦しい毎日だった。

今までで一番”不安定で怖い母”を見ている。

ある日、ついに母は言った。

「もう一緒に死のうか?」

僕は初めて母を大声で怒鳴った。

正直、何を言ったかはあまり覚えてないけど、とにかく全力で説教したのは確かだ。

母は赤ちゃんみたいに泣きじゃくっていた。まるで僕が親になったような気分だ。
今までどんなに辛いことがあっても、僕の前では”母”としていた人が、初めて母じゃなくなった。

「ごめんなさい」と言う彼女の背中をさすりながら、僕も泣いていた。

次の日、母を病院へ連れていきカウンセリングを受診させた。
今まで何度も連れて行こうとしても拒んでいたが、やっと僕の言うことを聞いてくれた。

母は「思ったより世間が優しい」という事実に気付いたようだ。今はあの頃よりずっと元気でいる。

ずっと”親”という関係性は変わらない。でも初めて「親とは別次元の大切な存在」として母を認識した気がする。だからこそあんなに説教もできたのだろう。


人は共感されたり、励ましてもらうのが嬉しい生き物だ。
だからついつい”可哀想”という枠に収まろうとしてしまうときがある。

そして可哀想な人を見ると、ついつい同情したくなる。優しい言葉だけをかけて何とかしようとしてしまう。

でも本当に心から同情しているのであれば、優しい言葉だけで片付けようとしないほうがいいかもしれない。

厳しさを強いることなく、相手を受け入れたうえで「前に進める言葉」をかけてあげられる人間でありたいと強く思う。

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