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ああ、恨みそう。

自己嫌悪ほど生産性のない行為はない。
どれだけ自分を卑下しても、その先に楽しいことは待っていない。ただ落ち込むだけだ。

…なのに!いま僕はものすごく自己嫌悪してしまっている。
これはもう人生で一番レベルの自己嫌悪だろう。
高校生の時にイギリスのバンド・Radioheadにハマって「暗いのってかっけえ…。ネガティブって芸術的…。」と感じ、わざとらしくネガティブで自己嫌悪していたあの時期とは比べ物にならない。

本物のネガティブが押し寄せているのである。

その理由は”人生で初めて人を恨みそうになっているから”に他ならない。
もうこの話を何回ブログでしたか分からないけれど、僕は1年半前にフラれた。そしてとんでもないレベルのショックを受けた。
今でも全然引きずっている。当たり前のように毎日夢に出てくる。
まあ、夢に出てくるのは慣れたんだけど、どうしても僕は心の奥底で『あの人を許したくない』と感じてしまうのだ。

端的に言うと、僕はその人に心変わりされ裏切られた。
でも、その人は他人の気持ちをなるべく汲み取ってくれる人だから、本当は裏切るようなことなんてしたくなかっただろう。

というか、人間だれでも裏切るような真似はしたくない。
だから彼女を責めるような言動は取りたくなかった。
それに、僕の信条として”出会った人のことは嫌いたくない”と思っている。
全部の出会いに意味があるし、人はみんな素敵な生き物だから、心の底まで悪い人なんていないはずなのだ。

だから例え僕が傷付くようなことをされても、一方的な被害者面はしたくない。
だって相手にも相応の理由があるじゃないか。
どっちも加害者で被害者。それが人間関係だと思っている。

でも、この“綺麗ごと”が自分の中で通用しなくなりそうなのだ。
僕を傷つける形で去っていったあの人を、本気で恨もうとする自分が確かにいる。

「なんで人のこと裏切っておいて自分は新しい彼氏作ってんだよ」
「平気な顔して”新しい人生”とか”これが私の生き方”とか抜かすなよ」

こんな風に毒を吐く自分が顔を出してくる。着実に一歩ずつ飲み込まれそうになっている。
恨みつらみの感情なんて意味がない。
誰かにヘイトを向けてもサッパリすることなんてないじゃないか。

少なくとも僕は誰かを嫌いになりたくない。恨みたくもない。
皆が幸せであってほしい。本当に、心からそう思う。
なのに何で、どんどん”あの人を恨むような気持ち”が増大していくのだろう。

なりたくない自分が、もうそこまで来ている。
油断したらすぐに変貌してしまう。

優しくありたい。誰よりも優しい人になりたい。それだけが目標なのだ。
全部を許すことはできなくとも、相手の事情や気持ちを汲み取り共感してあげられる人間でありたい。

でも、いま僕の中で一番大きく渦巻いている感情は『優しさとは正反対の位置にあるもの』だ。
他人が憎たらしくて、理解できなくて、恨みそうになっている。

これもまた、僕が人として変化するためのイベントなのだろうか?
なりたくない自分さえも受け入れて、コントロールできるようになれば理想の人へ近づけるのだろうか?

果てしない自己嫌悪と共に過ごす毎日は苦痛でしかない。
今はただ、飲み込まれないようにしよう。

自分の人生だ。
ネガティブな感情に支配されては勿体ない。

とにかく今は毎日ちゃんとご飯を食べて、たまに外へ出て、たくさん寝よう。そうして他人ではなく、自分に物差しをあてよう。

決して他人への感情に支配されないように。
激しい自己嫌悪がゆっくりと消えるように。

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