1か月後、消えようと思ってる
随分と衝撃的なタイトルを付けてしまった。
タイトルの文字通り、僕は今「1か月後、消えちゃおう」と考えている。
実は1か月後の8月に僕は誕生日を迎える。
ちょうど30歳の節目となる瞬間だ。でも、そんな瞬間をもって僕は消えてしまいたい。
なぜこんなことを思っているのか?
端的に言うと、人生に疲れてしまったからだ。
なんにも良いことがない。良いことがないから行動を起こそうとする。しかし、その度に傷付き疲弊してしまう。
自分でも薄々気付いていたけど、もう僕は限界を迎えているのだ。
理由は2つある。
まず1つ目は『家族のこと』だ。
家では母親が毎日のように現状を憂いている。
「(実家で経営している)焼肉屋のやりくりが大変」
「お金が足りないから貸してほしい」
「こんな母親でごめんなさい」
毎日毎日これの繰り返し。
実際、実家の経営は厳しい部分がある。と言っても、コロナが落ち着いてからはそれなりに売り上げも回復してきた。流れ自体は悪くない。
しかし、余裕がある状態からは遠いのが正直なところである。
元々、僕の母親はメンタルが不安定でヒステリックだ。なおさら安定しない日々に嫌気が差しているのだろう。
母が元気な日と死んだ日が右往左往する毎日。
僕が愛層を尽かしてとっくに嫌いになっても仕方ないと思う。
というか、まあ人間的には嫌いかもしれない。
でも、僕にとってたった一人の肉親であることも事実だ。とてつもなく不器用な人だけど、生まれてからずっと愛情を感じている。
いわゆる『毒親』とは違う。本当に生き方が下手糞な人なのだ。
少しでもお金が入ったらすぐに散財するし、自己評価が低いからすぐに泣く。どうしようもない人だねホント。
僕は小さいころから、母親のことを「面倒な人だな。」と冷めた目で見る節があった。
でも、誰よりも僕を愛しているのも伝わっている。
母親は学生時代にいじめを受けていたらしい。
そして親族からも見下されている。これは紛れもない事実だ。親戚一同が会する場で、僕の母親が小ばかにされている空気感を何度も体験した。
そう、彼女にとって僕こそが味方であり頼れる人間なのだろう。
だから泣きついてくる。
分かるよ母さん。俺しかいないんだもんね。たった一人の味方が俺だから、毎日のように泣きついてくるんだろう。
「こんな母親でごめん」って言って同情を買おうとしているんだろう。言い方は悪いけど、その側面はあるはずだ。
僕なりに優しく彼女に接してきたけど、少々疲れてしまった。
僕はあなたの息子だけど、サンドバックじゃないんだ。ごめんね。
でも、これだけは言いたい。俺はあなたの息子で良かった。
だってあなたが母親じゃなければ、今まで体験してきた素敵な思い出もないからね。
だから卑下しなくていい。
”優しい人間であるべき”という当たり前だけど忘れちゃいけないことを教えてくれて、根付かせてくれたのは母さんのおかげだから。
もう泣かないでくれ。お願いです。
もう1つの『消えたい理由』は”理想との剥離”だ。
僕は夢を信じられなくなってきている。
現状が思い浮かべていた”理想の現実”とはかけ離れているのだ。
「いや、そんなん誰だってそうだよ!」
「理想の人生なんて手にできないのが普通だろ」
と思われても仕方ない。僕もそう思う。
人生は険しいことのほうが記憶に残る。
一切苦労しないなんてあり得ないし、傷付く経験をするからこそ人生なのだ。
しかしながら、僕に降り掛かった試練はあまりにも重くて辛い。
今まで付き合った人全員から「他に好きな人ができたから別れよう」と言われている。
平たく言えば、全員に浮気されている。どっからが浮気という話もあるだろうけど、まあ僕的には浮気されたと認識している。
まあ、心変わりされるのは仕方ないのだ。
浮気って”した方”ばかりが責められるけど、それも酷な話だと思う。
正直”される方”にも何かしら問題があるだろうし、させてしまったという言い方もできる。
実際、僕も心変わりされる度に「うわ、やっぱり愛情表現だめだったなあ」とか「なんか背負わせるような付き合い方してたもんな」と感じる。
つまるところ、理想が高いのだ。
生まれた時から父親がいなく、夫婦像がどんなものか知らない。
母から父親の話を聞くとしても「あの人は子供を捨てた」とか「傷つけられた」とか、そんな話ばっかりだ。
フィクションの世界でしか”愛し合ってる夫婦”を見たことがない。
だから猛烈に憧れしまう。
そんなドラマや映画みたいにロマンチックなカップルなんてないのに、信じたい。
『男女はこうあるべき』『好きな人には重いくらい愛情を注がないといけない』
こんな考えが芯にある。
付き合っていても、知らず知らずのうちに価値観を押し付けてしまうのだろう。
相手が自分から興味をなくすのが怖くて仕方ないから、なるべくカッコつけようとする。
2人だけの空間なのに、誰かから覗かれているような感覚になって、必死に”理想のカップル”を演じ切ろうとしてしまう。
一緒にいることじゃなくて、嫌われないことが目的になる。
その結果、心変わりされることに怯えて、結局心変わりされてしまう。
え、俺めっちゃ面倒くさい人間じゃん…。
実際、恋愛してるときにこんな面倒なこと考えてるつもりはないのだけれど、振り返ってみると「ああ、やっちゃったな」と思うばかりだ。
あるいは、フラれるたびに何とかして自分が納得できる理由を探しているのかもしれない。
できるだけ相手のせいにはしたくないから、責める対象を自分にする。
他人を傷つければ、自分もダメージを負う。
だから相手を責めてしまうと、自分と相手の2人が傷付く。
でも、自分を責めれば自分だけ傷付けばいい。
と、こんな感じで生きてきた結果、僕は途方もなく人生に絶望してしまった。
恋愛なんてしなくても生きていける。
しかし、恋愛で負ったダメージは僕が想像するより遥かに大きかったようだ。
たくさん蓄積されていたんだな。
でも、恋愛している期間に覚えた感情だったり、告白する瞬間の高揚感は何にも変えられないものだ。
なにより、好きな人と過ごした時間は疑いようがなく最高だった。
僕に「他に好きな人ができた」と告白するのも、心が痛んだであろう。
全員出会えて良かった。
いま何してるか分からないけど、笑顔の時間が長い人生でいてほしいな。
なにしろ”いいやつ”だからな皆。
しかし、恋愛で負った傷が蓄積された僕は生きるのが辛くなってしまった。
信じてきた理想が手に入らないと悟ってしまったのだ。
以上が”1か月後に消えたい理由”である。
なんとなくだけど、昔から「30歳で生きる希望ないなら死んじゃおう」と思っていた。
そしたら、もう1か月後に30歳を迎えるのだ。人生は早いね。
でも、これは決して遺書じゃない。
本気で死にたいかと聞かれたら、僕はNOと答える。いや、確かに本気で消えたいんだけど、やっぱり納得はいかない。
『死にたい』と『消えたい』は似て非なるものなのだ。
だって、絶対に理想は手に入るはずだから。綺麗ごとも言えない世の中じゃないと信じてる。
だから僕はこの1か月、”死ぬ気”で生きる意味を見出す。
その結果が「生きる意味なんて別にない」だとしてもいい。それも笑い話になるさ。
今の僕は殻に閉じこもっている。
単純なことでいい。きっかけは至る所に転がっているだずだ。
とにかくドライブするとか、おしゃれするとか、アホみたいに映画見るとか、思いつくことは全部やろうじゃないか。
無理やり生きようとするんじゃない。
「あ、人生こんなんでいいんだ」って思えたら僕の勝ちだ。
とりあえず今日は大好きなラーメン屋さんに行って、初めて特盛を頼もう。
なんならライスも付けちゃおう。
いいね、ワクワクしてきた。
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