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走馬灯、下半身

あと1週間で30歳だ。
いやー、あっという間の人生だ。走馬灯のようにここまでの人生を振り返られる。

小学校2年生のとき、プールの授業が終わって教室で着替えていた。
男子は教室、女子は別の教室で着替えるというルールだった。男子は全員が着替え終わったあとに、女子がいる部屋をノックし「着替え終わったよ」という決まり。
でも僕はその日、なんだか気が狂っていた。
幼き男子の悪ノリもあり、「タカヒロが全裸で女子を待ち構えようぜw」となってしまったのだ。

まだ”セクハラの概念”も知らず、恥ずかしいという感情も希薄だった僕は、何の迷いもなく全裸で女子を待ち構えた。

男子は着替え終わったと思い込んで教室に入り込んでくる女子たち。
ガラガラと扉を開けた瞬間、目の前に飛び込む僕の”ち〇ち〇”。
阿鼻叫喚の女子たち。
大笑いする男子だち。

僕は満足感を得ていた。
「男たち笑ってるし、こりゃやって良かったな」と。
は~大勝利や!!と思うのも束の間、僕の目に映ったのは、一人の泣いている女子だった。
初めて見る男子の裸、どうやら怖くて泣いてしまったらしい。

教室の皆は盛り上がるのに夢中でその子が泣いているのに気付いていない。
でも、僕は見た。
人生で初めて女性を泣かしてしまったという罪悪感。
傷付けるつもりがない行動が誰かを傷つけるかもしれないという現実。
あの時から僕は「少し先の未来を考えるように行動しよう」と思ったのだ。
10人中9人が笑っても、1人が泣いていれば最悪。
そこにいる皆が笑えるような、幸せを感じるような行動をしようと……。

俺のち〇ち〇は、俺の価値観を変えてくれた。
全てのち〇ち〇に感謝を。アーメン。

ということで、ひと夏の思い出を振り返ってみた。
気付けばもう8月も終盤だ。今年はとにかく暑い。秋なんて来ない気がする。
きっとこのまま暑い日が続いて、気付けば冬になっているのだろう。
誰にも気づかれないまま秋が過ぎていく。
年々存在感が薄くなっている秋だけど、皆お前のこと好きだよ。だからもうちょっと存在感だしてくれよ。
あちいよ、バカ。

僕は8月31日に亡くなろうと思っているわけだけど、この8月終盤に来ても、その気持ちは別に変っていない。
でもまあ「確実に死ぬな」と思っていたころに比べたら、生きたいという気持ちは増えている気がする。

今月になって友達とたくさん会って、話している。
我ながら「意外と愛されてるなあ」と感じるばかりだ。だから、そんな友人たちが悲しむのは辛い。
きっと僕が死んでも、本当に悲しいのは最初の1週間くらいだと思う。
いや、僕も家族や友人が亡くなった時にそうだった。
亡くなっても時間は進む。いないことが当たり前になるのはすぐだ。

でも厄介なことに、たまに思い出して悲しくなる。
いないことが当たり前なのに、”あの人がいる世界”を想像してしまう。
「もっと話せばよかった」
「あの時、ああしてれば」
こんなことを考えて、とことんセンチメンタルな思いを抱いたまま過ごす日々が必ず来る。

自分がそうなる分にはいいけど、大好きな友人たちが”俺のせいで”センチになるのはいただけない。
僕が消えても、誰も何も感じない世界のほう楽だったな。でもそれはそれで悲しくて寂しくて泣いてしまうんだろう。
ああ、ないものねだりが人の本性なのかもしれないね。

『生きていれば楽しいことがある。』
この言葉は嘘じゃない。だって生きなきゃ楽しいなんて感情も生まれないのだから。
今の僕は、楽しいことを求めることさえ疲れてしまった。諦観しているのだ。

でも、なんかこのまま消えるのもダセえよなあ。
ということであと1週間。
葛藤するか~自分と。

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