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ポーランド・カトヴィツェに本当にあった伝説的なカフェとワルシャワ通りの歴史(3)

医師、弁護士、文学者たち……カミル・コザコフスキ 午前中には、近隣住民の奥様方が集まりましたが、その中には、(医師の)ヤン・フロンド博士(ポーランド・カトリック大司祭であったアウグスト・フロンドの長兄)の夫人のような名士がいました。早い時間帯には、カフェは儲け仕事のやりくりや、ビジネスの会話の弁護士たちの待ち合わせ場所にもなりました。午後にカフェ・リベリウス・オットーへ出向いたのは、ヤン・フロンド博士の近隣に住む咽頭科のグルヌィ博士、占領下にポーランド人たちを助けたドイツ人

    • ポーランド・カトヴィツェに本当にあった伝説的なカフェとワルシャワ通りの歴史 (2)リボリウス・オットーならウィーンの雰囲気が感じられたのです

      なにより素晴らしい焼き菓子で有名だった店には、男性たちがトランプに興じながらおしゃべりをする専用 のホールがありました。菓子店「リボリウス・オットー」へは、カフェ・ソサエティと言われる ような社交界のエリートである粋な人たちがやってきていました。店の優雅さとプレステージが、 最高に素敵な客たちを引き寄せました。店の入り口前に立つ深緑の制服のポーターが、 まずうやうやしくお辞 儀をしてから 、「然るべき人」たちだけを店内に案内していました。選挙新聞・ ガゼッタ・ヴィボルチャ 紙

      • ポーランド・カトヴィツェに本当にあった伝説的なカフェとワルシャワ通りの歴史 (1)

        ここで楽しむことができたのは、このカフェにふさわしい人たちだけでした。 カミル・コザコフスキー のちに「リベリウス・オットー」と呼ばれることになる店があった一本の通り。最初はミ スウォヴィツカ通りと呼ばれました。 つまりその通りはミスウォヴィツェへ続く通りでした。 やがて、その通りはドイツ語でフリードリッヒシュトラッセと呼ばれ 、その次にポーランドを独立へ導いた将軍の名がついたピウスツキ通りとなり、最終的にポーランドの首都の名がついて、ワルシャワ通りと呼ばれました。

        • どこにもない国ポーランドに本当にあったカフェのおはなし

          かつて東欧と呼ばれた、中央ヨーロッパのポーランドにあったカフェのお話を少しづつ纏めていこうと思います。 ポーランドと聞いて、何を思い起こしますか?心を揺さぶる美しい曲を残したショパンでしょうか?勇敢で聡明だったラジウムを発見したキュリー夫人でしょうか?彼らが活躍した時代、ポーランドは地図の中にその名を見つけることはできませんでした。タイトルの「どこにもない国ポーランド」という表現は、アルフレッド・ジャリの不条理劇「ユビュ王」(1888年)のセリフから借りました。ポーランドと

        ポーランド・カトヴィツェに本当にあった伝説的なカフェとワルシャワ通りの歴史(3)

        • ポーランド・カトヴィツェに本当にあった伝説的なカフェとワルシャワ通りの歴史 (2)リボリウス・オットーならウィーンの雰囲気が感じられたのです

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