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ポーランド・カトヴィツェに本当にあった伝説的なカフェとワルシャワ通りの歴史 (2)リボリウス・オットーならウィーンの雰囲気が感じられたのです


なにより素晴らしい焼き菓子で有名だった店には、男性たちがトランプに興じながらおしゃべりをする専用 のホールがありました。菓子店「リボリウス・オットー」へは、カフェ・ソサエティと言われる ような社交界のエリートである粋な人たちがやってきていました。店の優雅さとプレステージが、 最高に素敵な客たちを引き寄せました。店の入り口前に立つ深緑の制服のポーターが、 まずうやうやしくお辞 儀をしてから 、「然るべき人」たちだけを店内に案内していました。選挙新聞・ ガゼッタ・ヴィボルチャ 紙上でアンジェイ・ル ジャノ ヴィチ博士が記している様に「 中に入れば、そこはウィーンの雰囲気だった 。」 のです。 入り口の敷居を超えようとする客たちは、大理石の天板と透彫の入った鋳鉄の脚のテーブルに迎え
られ、ある部屋にはマホガニー色の壁、もう一つの部屋は胡桃色、客の頭上には本物の水晶でできた シャンデリアの明るく透き通った光が輝いていました。
磁器のカップに供されたコーヒー 繊細な小皿に並べられたお菓子やケーキが、鼻をくすぐり、ピアニス トが演奏する音楽もその場の雰囲気をかもしだしました。バーのそばには小さなホ ールがあり、そこへは階段を使って上がりました。そこで煙草の紫 煙が渦巻く中、トランプ越しに商売や政治について議論しながら、人々はポーカーに興じた のでした。カフェでは二つの言語が話されていました。ポーランド語とドイツ語です。それはた だのカフェではありませんでした。カフェ・オットーは巨大で、完璧な設備 のあるお菓子工場でした。「私が覚えていることといえば、60年代に小学校の生徒だっ た頃にケーキ型に目を見張ったことです。ケーキの焼き型は十種類以上の形があって、貴 重な素材で作られていて、粋な商標が入ってたんです 。”リボリウス・オットー”と。」これは最近まで今の(執筆時)の共同所有者であり 、このカフェの長年の従業員である イグナツィ・ペンショルの回想です。こう思い出を語りまし た。本物のカフェにふさわしく、それは、決まった時間に いつもの馴染みの顧客が訪 れる場所でした。


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