見出し画像

どこにもない国ポーランドに本当にあったカフェのおはなし

かつて東欧と呼ばれた、中央ヨーロッパのポーランドにあったカフェのお話を少しづつ纏めていこうと思います。

ポーランドと聞いて、何を思い起こしますか?心を揺さぶる美しい曲を残したショパンでしょうか?勇敢で聡明だったラジウムを発見したキュリー夫人でしょうか?彼らが活躍した時代、ポーランドは地図の中にその名を見つけることはできませんでした。タイトルの「どこにもない国ポーランド」という表現は、アルフレッド・ジャリの不条理劇「ユビュ王」(1888年)のセリフから借りました。ポーランドという国名はあるのにどこにもない国とはどういうことか?これは、18世紀に3度にわたってプロイセン(現在のドイツ)・オーストリア・ロシアにポーランドの領土が奪われていった歴史を表現しています。ポーランドの歴史は複雑で、その後1916年まで地図からポーランドは姿を消したのです。その後、第二次世界大戦が始まり、ナチスドイツがポーランドへ侵攻する1939年に自治を失います。第二次世界大戦が終わる1945年に、ポーランドはソ連の占領下に置かれ、ソビエトの衛星国としてのポーランド人民共和国が1989年まで続きます。1989年11月にベルリンの壁が崩壊しますが、その少し前の九月に、円卓会議によって実施された総選挙によって民主化が実現しポーランド共和国が始まりました。20世紀の100年間だけでも大きな体制転換が4度起きていることになります。

ポーランドは他国に侵略された歴史も長く、ヨーロッパの中心部に位置することから多民族的文化の名残が食文化にも表れています。マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ際に連れて行った菓子職人はポーランド人でした。この時から、フランス菓子に生クリームが使われるようになったと言われています。普段私たちがフランス菓子やドイツ菓子、アメリカのスイーツと呼んでる物の中に、実はポーランドと縁の深い由来のお菓子もよく紛れています。ポーランドは馴染みの薄い遠い国であっても、日本で暮らす私たちの身の回りにはポーランドのお菓子はいろいろな場所で実はひっそり顔を覗かしているのです。そんなポーランドのお菓子にコーヒーを添えていた、ポーランドのカフェのお話をこれからしていきます。

 さて、最初はポーランド南部の都市、カトヴィツェにあった<水晶のカフェ>です。カフェができたのは19世紀、まさに「どこにもない国ポーランド」の時代です。

このカフェの最盛期における、カトヴィツェ出身の日本で知られる著名人といえば、シュルレアリスムの美術作家として知られるハンス・ベルメール、イタリア人映画監督ルキノ・ヴィスコンティによって映画化されたトーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」に登場する謎めいた少年タジオではないでしょうか。小説の中の少年は実在したカトヴィツェの貴族の少年をモデルにしたと言われています。もしかしたら子供の頃にぱくっとひとくち、彼らも口にしたのかもしれません。そんなお菓子を提供したお店のお話をはじめましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?