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偽物ではダメなのです

1分間に17人が餓死させられているのが2023年です。世界で、人間の死因第一位が餓死です。日本では第一位、二位が病気で、第三位が老衰です。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai20/dl/gaikyouR2.pdf

上記リンク内より 2022年の統計もほぼ同率と想定される

飢餓に直面する率は若年者(つまり子ども)と女性の方が高い事実が見えにくくなっていますが社会的な地位、権利が低い立場に置かれるとより飢餓のリスクが高いのです。世界では人口に対して十分に人間が生きていけるだけの食糧が生産されているそうですが、全体の2割に満たない人びとが、4割分の食糧を手にしています。つまり必要分の倍の食糧が蓄えられています。5人のうち4人は、食糧が常に足りない状況であるということになります。餓死は自然現象による以上に、戦争、国家政策による人災、殺人であると言えます。この現代的な課題から目をそらさず、人間らしさを取り戻し、生かされていきたいと思います。聖書は一体何を伝えようとしているでしょうか。

マッチ一本分の幸福と焦げた臭い

イエスはヨルダン川でバプテスマを受けました。充実感、希望、そして決意みなぎる時だったのではないかと思います。


民衆が皆洗礼(バプテスマ)を受け、イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
ルカによる福音書3章21−22節(日本聖書協会 『新共同訳 聖書』)

この様子を想像すると、平穏で、温かみに満ちた多幸感あふれる情景が目に浮かびます。
いのちを肯定的に捉えることができる活力あふれる素敵な時間です。先月、クリスマス礼拝で駒込平和教会でもバプテスマを行いました。その時、バプテスマを受ける人だけではなく、そこに立ち会った人が皆、「私も愛されている」という抱擁を経験したと思います。
バプテスマを教会員になる儀式とすり替え、サークル入会の儀式のように貶めてはならないと思うのです。人間が作り、囲み、留めるグループのしがらみから解放され、「私が私であって良い」と生きるべき自分が発見されるのがバプテスマだと私は思います。イエスのバプテスマでも「つながり」が表されています。もはやひとりではない、という確信が強くなる時です。
けれども、その霊的充実感は途端に荒れ野の放浪に変わります。急転直下もいいところです。「バプテスマを受けた後、安心して幸せに暮らしました」とは物語は進みません。最後には「十字架につけられました」というフレーズが待ち受けています。十字架だけが驚くほどの出来事だったのではなく、そこに至るまでの道のりも厳しいものだったのです。
温かさ、潤いから、寒気のするザラザラ感への転換です。本当にマッチを一本擦って火を灯した間だけの温もりで、あとは焦げた臭いがします。

イエスと衣食住 、引き回されるイエス

イエスは空腹でした。イエスは衣食住に事欠く人間です。イエスは衣を極限まで少なく持ち歩くよう弟子たちに告げました。自分自身は、十字架刑の直前には、服を脱がされ、代わりに王の服を着せられて、嘲りを受けました。イエスは旅を続け、ナザレの家を拠点にしたことはありません。イエスは、神殿を「家」と呼びましたが、その神殿の崩壊を語りました。
これが、イエスが共に歩むことになった当時の人びとのリアルだったのだと思います。そしてイエスもそのうちの一人であったということです。40日間の誘惑、それに打ち勝つイエス、という構図で読むとイエスだけは特別な人で、わざわざ人と合わせて空腹で裸で家がない人になったというような上から下の神と人間の感覚にならされます。

この先、イエスがなぜ「人はパンだけで生きるものではない」と語ったことについて記しています。この先は有料記事です。研究活動のためにご協力いただければ幸いです。またメンバーシップ登録で読み放題になるプランもあります。

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