「ナチス 破壊の経済1923-1945」下巻の感想
昨年読み終えた本の一冊「ナチス 破壊の経済1923-1945」(みすず書房 著:アダム・トゥース 訳:山形浩生、森本正史)の下巻についての感想です。
上巻は西部戦線の開戦直前まで。準備万端整って開戦!という感じではなく、無理やり軍備に費やしてきた統制経済が、ほぼ「これ以上何かやっても良い方向にいかない」ところまで行ってしまい、「勝てるうちにやろう」という感じで、大戦争が始まりつつあるところで終わりました。
そして下巻は西部戦線の開戦後、つまり、遂に第二次世界大戦中のナチスドイツの経済政策が描かれます。
ドイツはフランスを降伏させた後、北欧、ソ連の他、イギリス、アメリカと大戦争を繰り広げました。特にソ連との戦争は人類史上最大の戦いと言われていますが、ナチス・ドイツはなぜ、そんな大戦争を遂行することが出来たのか。
これも上巻と同じく、キーワードは「統制経済」です。ナチスドイツは外貨も資源も食料も、そして、労働力も余裕の無い状況での戦争ですので、そこは無理やり軍隊が戦えるように少ない資源やお金、労働力を国家が統制して割り振っていったようです。また、電撃戦や独ソ戦などの戦史に残るドイツの戦術もそういう国家の窮状と密接な関係があるようです。
「戦前のドイツはそれなりの国力をナチスが蓄えたから、独ソ戦などの大戦争を戦うことが出来た」という個人的な思い込みがありました。しかし、この本を読んでいる限りは、それは違うようです。
例えるなら、穴が開いて水が漏れているお鍋にツギハギを当てるような…雨漏りする天井にとりあえず板を張るような…船底に穴が開いて、どんどん水が入ってくる船から水を掻き出すような…
とにかく、「戦争を続けるために、応急措置的に、忙しく資源や労働力を振り分けた」という印象でした。
そして「統制」は、民間企業への恫喝や、占領地からの恐ろしい収奪(一例を後述)などに頼ったものでしかなく、有名なシュペーアの軍備改革なども所詮はナチスや総統の権威を借りたものでしかないことが、具体的な事実ともとに書かれています。
こんなぎりぎりの綱渡りをよくやり切ったな、と言う点は上巻と同じなのですが、その手法があまりにも醜悪で、上巻の時に感じた「そういう点ではドイツ人は優秀」という感想を下巻では持つことが出来ませんでした。
ここまで読んできて「どうして、ナチスはそんなにも大戦争をしたかったのだろう」という疑問が出てくるのですが、これも上の感想の際に述べた通り。
「ドイツ民族はユダヤ人達の悪の企みによって脅威を受けている」、しかも、「ユダヤ人は世界的なネットワークを使って、大戦争を引き起こし、世界を支配しようとしている」「アメリカはユダヤ人に支配されていて、ルーズベルト大統領の裏にはユダヤ人がいる」ということをナチス指導部は本当に、本気で、信じていたようです。
具体的な記述は本の中にありますが、私自身は、そこまで本気でユダヤ人を滅ぼそうとナチス・ドイツが考えていたとは思っていませんでしたので、本当に驚いてしまいました。
彼らの主張は、最近SNSなどで拡がっていると言われる様々な陰謀論と不気味なほど似通っていますし、ウクライナを侵略したロシアの主張にも共通点があるように感じました。
そういう点で、身近な恐怖を感じましたし、むしろ、戦争が終わって80年近くも経つのに、ナチス・ドイツに「身近な恐怖」を感じてしまうこと自体が、本当に恐ろしいことです。
上記のナチスドイツのイデオロギーの部分の他、戦時中の記述の中で、特に恐ろしかったのが労働力不足への対処です。
要は占領地の住民や独ソ戦の結果得たソ連兵の捕虜、ユダヤ人の中で使えそうな労働力を選別して、ドイツ本国に送り工場で強制的に働かせるのですが、その場合は、ただでさえ不足している食料を彼らに与えなければなりません。
この労働力不足と食料不足が、ナチスドイツのイデオロギー(要は『ドイツ民族以外は劣等民族なので、滅ぼしても良い』)と合体することで、「食料もろくに与えず、占領地の国民や、捕虜を死ぬまで働かせる」という方針に繋がります。
具体的に起こったことが本書では書かれていて、正直、私はここまでナチスドイツが凄惨なことをしたとは思っていなかったので、本当に戦慄してしまいました。
(実は序文で著者が「通読して確かめてね」と書いてありますので、本当は書いちゃいけないような気がするのですが、感想を書く上では書かざるを得ないよなぁと思います)
本に書かれている全てのエピソード書くことは出来ませんので、特に以下の部分のみを引用したいと思います。プラモとかをされる方は、結構の衝撃じゃないでしょうか。
恐ろしいイデオロギーや、民主的でない体制をもった国によって占領や支配されてしまった人々がどうなるのか。最近のウクライナ戦争と関連して、考えざるを得ませんでした。
さて、上下巻のまとめを兼ねて、私がこの本を紙の媒体で購入した理由を書いてみたいと思います。
本書はkindleでも発売されていて、そちらで読む方が手軽にすぐに読めるのは分かっていたのですが、紙媒体にしたのは以下の理由です。
我が家にはたくさんプラモデルがあって、その中には第二次大戦中のドイツの兵器のものもあります。それは単純に形がカッコいいからで、それ以上ではありません。
少し心配しているのは子供への影響です。
おそらくなのですが、うちの子供は他のご家庭のお子さんと比べて、第二次大戦中のドイツの兵器に触れる機会は多いでしょう。そして、私がそうだったようにカッコいいと思うことでしょう。
Youtubeやネットニュースなどで、質の悪い歴史解説が大量にネット上に拡散しているのを目にしています。うちの子供もナチス・ドイツの兵器への興味から、そういう粗悪な歴史解説に触れてしまい「ナチス、実はすごい論」にハマってしまったらどうしよう、という心配を(プラモデルを飾っている父親の責任なのに)しています。それは正に、ナチス指導部が陥った「根拠のない陰謀論」に、子供がはまってしまわないか、という恐怖です。
そういう時の対処として、「しっかりとナチス・ドイツの経済政策を知っておきたい」という欲求が私にはありました。
子供が「ナチスは経済政策は凄かったんだよね」ということを言い出してしまった時に、「いい加減なことを言うな」と、この分厚くて高い2冊の本で殴る...
ことを目的としていたのですが、残念ながらそれは出来なさそうです。なぜなら、私自身がこの本の内容をすべて理解できているわけではないからです。
一方で、外貨など基本的な金融の仕組みや、マクロ経済、ミクロ経済など、この本で書かれているような基礎的な経済の知識と、緻密な事実確認が無いと、ナチス・ドイツの経済政策の良し悪しを判断することは出来ないということは、確かにわかりました。
よって、今後、「ナチスドイツは経済政策は凄かったんだよね」と子供が言い出した時に、この本で殴ることは出来ませんが、「ナチス・ドイツの経済について知りたいんだったら、詳しい本があるよ。そういうことは、この本を読んでから判断したほうが良いと思うよ。難しそうやろ?お父さんも実は、あんまりわからんかったわ。読んでみて、一緒に話し合おうぜ」くらいのことは言えると思います。そして、私にとっては、それで充分なのです。
また、当初の目標ではなかった成果について。
上述の通り、私はナチス・ドイツの開発した兵器のプラモデルをたくさん持っています。しかし、その多くが、例えば上記で上げたJu-87(このプラモも持っています)のように、占領国の国民や捕虜を死ぬまで働かせて作られたものであることを、今回、勉強して恥ずかしながら詳細を初めて知りました。また、今回の感想には書いていませんが、プラモデル趣味の人たちに人気のドイツの戦車も、戦意高揚の為に無理やり作られたものであることも、本には書かれています。
個人的に重要と思っていることは、それでも、やはり、それらの兵器群は自分は「カッコいいと思ってしまう」ということです。
そういう点で、何かを好きになること、カッコいいと思うことはある意味、「呪い」なのだと思います。これは、「ナチス実は凄い論」よりも強力な「呪い」で、「お祓い」することはかなり難しいのだと思います。
一方、ここでむしろ、私は「お祓いをするべきなのか」ということも敢えて考えていきたいと思います。
私がナチスや戦争について本を読んでみたいという動機を持ったのは、カッコいい兵器について、もっと知りたいと思ったからです。
その過程で、今回の「破壊の経済」という本にも出会い、色々なナチスの所業を知ることが出来ました。それは紛れもない事実であり、良かったことなのだと思います。
また、もう一つ確実なことは、私はナチスドイツの兵器が外国人労働者を死ぬまで働かせて作ったものであるなど、「酷い所業の産物」であるということを「知っている」ことです。
プラモデルを手に取った時、単純に「カッコいい」と思うのは変わりないと思いますが、その後の反応は事実を知る前と、知った後では何かしら変わっていると思います。
具体的には上手く言えませんが、例えば、被害に遭われた方を想像してしまって、無邪気に「カッコいい!」とふざけながら言うことはないでしょう。その変化は、おそらく良い方向であることは間違いないと思います。
ナチス・ドイツの兵器群に関わらず、例えばウクライナを侵略しているロシア軍だったり、米軍や旧日本軍、中国軍の兵器についても、今後も私は「カッコいい」と思うと思います。このどうしようもない「呪い」はおそらく一生消えることはないでしょう。
「兵器カッコいい」という「呪い」とどう付き合って、社会的に問題の無い生活をしていくか。
それについて、今後も私の人生のテーマとして考え続けていきたいと思っていますし、何かしら考えがまとまれば、書いていきたいと思います。
そういうことを考える前提として、緻密な調査、歴史考察に基づいたこの本を読むことが出来たことは本当に良い収穫でした。
と、いう上下巻を読み切った後の感想でした。
最後辺りは本とは関係の無い、個人的な話でしたが、内容以外にも色々と考えさせてくれる本であるということは分かって頂けたと思います。
上下巻で高価な本ですが、興味のある方は、例えば、図書館とかで手に取ってみていただければと思います。
そして、我が家のように、身近な人が恐ろしい陰謀論にハマってしまった時の「お祓い用」として、一家に上下巻二冊を置いておくのも良いでのではないでしょうか。
では、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
次の本の感想でお会いしましょう。
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