カール日記 4
毎日カールに教えられている気がする。
世の中には、猫どころか人間の介護をしている人なんていっぱいいて、私の友人だってみんな親の介護をして見送った日も少なくないです。
幸い?私の母は今しっかりと自分のことがっで来ているので、今まで介護する気持ちの練習はできていませんでした。
でもフィガロが死んでカールが1匹だけになり、日々やっていたことをしなくなり、この前脱水症状で入院した時は自分でも想定外に心が乱れ、持ち直して返って来たものの、日々テーブルの上でじーっとしているのを見ていると、体の中に悲しみを閉じ込めている風船がずっと膨らんでいて、それが破裂しないように、浮かんできては飲み込み、ずっと何か我慢している状態。
世の中の介護をいている人たちは、多かれ少なかれこの状態に耐えているのだと思い知らされています。介護は人それぞれ、家族だったりペットだったり、その重さや長さによって、何かしら折り合いをつけているのでしょうが、喪失を前にして平静に生きるとはかくも困難なことなのだと、カールはゆっくり、ゆっくり私に教えてくれています。
もうトイレもテーブルを下りてすることもなくなりましたが、テーブルから下ろすと自分でまた上がります。上がれるなら下りればいいのにとも思いますが、どうやらそこは違うようで、そこそこご飯も食べるのに、呼びかけにはほとんど反応してくれません。
それでも柔らかく丸い頭を撫でると、まだそこで生きている力を感じます。
時間は流れるものですが、今、流れない時間の中で息を潜めて、悲しみの風船をそっと抱えているのです
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