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山田耕筰の言葉 コロナ禍を振り返る

2020年5月24日 コロナ禍にて
畑中先生のご命日に昔のことを思い出したので、久しぶりに山田耕筰歌曲集を引っ張り出してみました。
おそらく30年くらい前に畑中先生にレッスンしていただいた書き込み。
カイツブリの動きが伴奏に描かれていることを細かく教えていただいた痕跡があります。
このめちゃめちゃ細かい指示だらけの楽譜

レッスンでの書き込み


30年前は歌うだけで必死で、書き込むことにも必死で、あんなに必死でやったのに30年放置

いまとなっては、もう一度レッスンしてもらいたかった

そうだ!解説を読めば先生の指示がある!と気がついて、いつもまじめに読んだことのなかった解説を読んでみたら、さらに驚きの発見が

以下畑中先生が引用している山田耕筰さんの文

病む時すら与えられぬあはただしさ、しばらく病床に倒れ得て高熱に喘ぐとき、やうやく得た休息の慰安に寂しくも微笑む惨めさ。私は過去10年のかうした焦燥な自分の生活を顧みる時、果たしてそれは、人としての自分に正しいものであったか、幸福なものであったか、疑はずには居られない。私は知らず識らずのうちに、他のなにものにもかへがたい財宝を空費し、また与えられた貴きものを見逃していたのではなかろうか。
最近私を襲うた2ヶ月にも亘る重患は、私に静思の時を得させた。私にいろいろのことを考へさせてくれた。今後は私の健康も、従来のやうな、目まぐるしい活動を許してはくれないだろう。いったい、私は少年時代から、環境と戦って、自ら自分の路を切り開いてこなければならなかった為、事業化的才能が、生来の芸術家的素質を虐げがちだった。親友露風兄は、エマースンの語を引いて、上着を脱いだ芸術家だと、私を評された。しかしながら今の私は、ともすると上着を脱がせようとする私の後天的才能を心から恐れている。
今こそ私は、これまで並行してきた此の2つの路の1つを選んで、真実の自己と自己の仕事の為に第一義的生活に還る時が来たのではないかと思う。
A I Y A Nの歌は、この私の新しい路に摘み得た最初の花の一束である。
(1922年6月30日)

山田耕筰の文より

1922年AYANの歌を作曲する前に、高熱で2ヵ月伏せっていた時のこと?その時間がじっくりと考える時間を与えてくれ、音楽と向き合う道筋も見えて来たという文章

日本でスペイン風邪が流行ったのが1920年
この文章が、コロナとリンクしてしまいました。
この熱がスペイン風邪かどうだったかはわかりませんが、2ヵ月、営みを止められた時に、気づくことが多かった。

日々の仕事がなく、ぱったりと止まった時間。何もできないようで、その実、堂々と、この時間に何をしようか?と考えられる時間。山田耕筰の歌曲集を広げて、この文章を目にしたのがつながっているように思えます。

もう二度とコロナ期のような社会になって欲しくはないけれど、仕事に追われ続けていた地球全部の時間を止めたこの出来事には大きなメッセージがあったのだと思います

30年前に学んだことをもう一度やりなおそうと気づいた時にはもうそんなに長い時間は残されていない私ですが、今やりたい事がいっぱいです。

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