天文学の歴史をざっくり解説②
前回は地球が太陽の周りを公転する地動説が揺るぎないものへと確立されたところまで紹介しましたが、それまで天球上に張りついたように見える恒星は、それぞれ距離が異なるという事が分かってきました。
天の川の正体
天の川は星の集まりで出来ている事を発見したのは、ガリレオ・ガリレイで、この天の川が、私たちの住んでいる太陽系を含む銀河系の中から見た姿だと気づいたのはイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルです。
ウィリアム・ハーシェルが考えた銀河系の形は凸レンズであり、全体の直径は約6000光年です。太陽は、ほぼその中心にあるとハーシェルは考えました。
私たち地球の中心であると思っていた太陽も、その銀河系の1つの恒星にすぎなかったというわけです。
さらに、ハーシェルは天の川が星の集団であることを示しましたが、当時はその集団、今日の天の川が宇宙そのものと考えられていた。
カントの島宇宙説
ドイツの哲学者カントは、ハーシェルの考えと対照的で、宇宙には星の集団がいくつか点在すると考え、その集団の一つ一つを大海に浮かぶ小島にたとえて島宇宙と呼びました。
後にこの島宇宙説は正しいことが証明されました。
シャプレーとカーチスの大論争
1920年の4月26日、アメリカ科学院の会合でシャプレーとカーチスがお互いに宇宙の大きさに関して当時の二つの考え方を代表して行った公開討論会のことです。
シャプレーの論
シャプレーは以前にセファイド変光星の変光周期と光度の観測から球状星団までの距離を測定する方法を考案して、銀河系の中心の位置を求めたことで有名です。
カーチスの論
実際に渦巻星雲中に発見した新星の明るさから、星雲が銀河系の外にあることを示したのですが、見積もった銀河系の大きさが小さすぎる事が一つの欠点だったようです。
この時の大討論では決着は付かず、1924年にハッブルがアンドロメダ銀河に2つの変光星を見つけ、銀河系とアンドロメダ銀河の距離が約100万光年と分かるまで論争は続きました。
(※精密に測るとアンドロメダ銀河との距離は約250万光年)
ハッブルの宇宙膨張に関しては数式などが必要になるので、次回詳細に説明したいと思います。
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