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好きにやってみても

思いあがっていたと、そう思った。

今まで、感謝が足りなかったという事に気が付いた。人を大切にすることとはどういうことなのか、感謝することを忘れていたと言えるのかもしれない。強烈な夏差に頭の中が煮えたぎって、やっと家に帰りつくような毎日から、涼しくなってきて寒さが心地よくなってくる。それと同時に気持ちにも余裕が生まれてくる。車を運転しているだけで、頭の中の温度が上がってきてしまう。それでも毎日時間が過ぎてい行く。

コロナから時間がたって、今は住宅は現場の量がだいぶ減っていくようです。今が最後の悪あがき期間で、空いたテナントに新しくお店を出すので相談に乗って欲しいというようなことを言われるようになってきました。
この11月をもって自分は設計事務所の登録は更新しましたが、建設業の許可は下ろしました。今まで地場のサブコンみたいなことを一人でやってきたのでそもそも無理があった。もっと人を雇って大きくしていく道もあったかもしれないがそれはとても自分には合っていない。工務店のような動きもそろそろ終わりにして、工事と設計業務を分けていくことにする。もっと自分に体力と余裕があればまた再開してもいいかもしれないが今ではないし。工事の監督は向いてないだろう。

自分なりに大切に思って工事までやってきたが、結果そうならなかった。結果は利益に反映される。それでも、いい施主に恵まれていて、感謝することを忘れていたという事だろう。その自分の周りの事に対して。

リフォームにしても店舗にしても工事は何もやらない。
設計や、コンサル、紹介をして、工事は工務店さんと契約してもらう。いつも見積もりをしてくれない職人が多くて、自分で見積もってうまくいかない。見積もりが甘いと双方から言われるのだ。工事まで面倒見る、職人の面倒まで見る必要はない。施主にもそこまでやる必要は全くなくて、自分が計画をして方向性を決める仕事だけに専念していれば、スムーズに行ったことばかりだろう。どうしても大きな会社が生んだシステムの中で生きていると、予算と工期を与えられて、それに沿っているだけの職人を生んでしまっている。一緒に作り上げるという事が難しい。自分で抱え込んで抱えきれなくなってもがいて苦しんでいた。本来そんなことはしなくていいはずなのに。マイナスなようで、大きな糧もえている。
最初から最後までやっているので、現場の事も分かるようになった。立場としては設計士は施主の側に立つ、監督として現場の意見を聞かないといけない。俺様的なこともできないから、どっちつかずで責任を取らないといけない両方に対して。これはやったことがない人には全く分からない。

工事までやるのは自邸のみにして、設計業務に入っていく。

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