見出し画像

秋の畑 2

最近は耕すことができないので、草を抜いて、種をまく。キュウリは最近の冷え込みで枯れてしまった。ニンジンの芽、白菜の芽が沢山出ているので、そちらに期待する。

草もたくさん生えている。一部、草に交じって小松菜と白菜が出てきているところがある。ここを以前から使っていた人の種が残っていてはえてきたようだ。おかしくて、柔らかくした土の中に種を植える。種を知らないうちにこぼしていしまうとそこから、たまに芽が出ることがある。種は正直で、とても小さな一粒は大地に接したときに、根を張り芽を出す。変なところに落ちた種ほどど根性があって強く育っていく。

草も種があってどんどんはえてくる。人間にとっては邪魔ものでしかない。借りてるこの畑は長い間放置されて、草が生え放題。お店の膝の高さくらいの草が一面を覆いつくしていて、自分が種や苗を植えてところも、今では草に覆われ始めている。根が残っていたり、本当に小さい種までは取り除けない。だから、彼らが生えてくる条件を満たさないようにしないといけない。でもそれは、おそらく野菜も生育できない状態でもあると思う。

昼に様子を見に行くと、今の時期は暖かくて気持ちがいい。朝夕はもう寒い。虫の種類もだいぶ入れ替わって、秋の虫が鳴き続けている。

今住んでいる住宅地はアスファルトに覆われている。大地の上に建築物は立っている。新築別件を工事しているところを見かけたことがある人は多いと思うけど、空地で草が生えているところに、重機が入って残土を出していく。

画像1

その後、固めて、砕石入れてコンクリートの基礎を作っていく。基礎と建物は緊結することが法律で決まっています。日本昔話で出てくる庄屋様の家は束石の上に束が乗っているだけです。家の重量を石に伝えて大地に立っていた。大地と切り離された生活をさせられている感じが強い。靴に泥が付いて、アスファルトを汚すのは建築工事的にはNGになる。工事していた人が最後にアスファルトを水で掃除しているのを見かけます。人工物を自然の物で汚してしまうのを洗うのって何かおかしな行為な気がしています。

これからも新築工事はしていくことになるとは思いますが、少しづつ、離れていくことになりそうです。やめることはないですが。

建築物であって建築物として認識されないもの。重力からは自由になれないですが、草が芽吹いて、自分の体を大地から空に伸びようと、自身を支えながら成長するさまを、住まいとして立ち上げることはできないか。実際は無理なことはよくわかっていて、それは建築ではないんです。

車のある生活様式で、舗装してある道路が、山奥まで作ってあることはすごいことなんですが、舗装されていない道がないところだってあったもいい。なにかが行き過ぎていて、戻れなくなっていて、大きな破壊がその先にあるように思えてならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?