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ミラノ最終週 大急ぎでミラノからスイスへ脱出してから日本に一時帰国

今回のnoteはコロナウイルスに振り回された2週間を時系列で振り返ります。これまで毎週更新できた中でついに毎週更新が途絶えてしまいましたが、どうかご了承いただけますと幸いです。

まず、ミラノの自宅で友人たちとの夕食を楽しんでいたらイタリア政府が国境を封鎖し始めると発表し、急遽ミラノからスイスへ移動。そして学校がスイスに用意してくれたログハウスで1週間ほど過ごしていたら、4月から始まるスイスでの3学期の授業もしばらくオンラインになるとの連絡が。先行きが不透明かつ状況がすぐに改善することも考え難いため、日本に一時帰国しました。

スイスの山中にあるログハウスでの生活は理想的な生活環境ではなく誰もがストレスや疲れを感じていましたが、だからこそクラスメイトたちと支え合い、笑いに溢れてとても楽しかったです。

3/3(火)サッカーW杯の招致基準の変化

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FIFAの方がW杯がどのように環境保護に取り組んでいるか講義をしてくださりました。とはいえ環境保護とスポンサーアクティベーションは両立が難しく、予算調整も含めてどうしても後者が優先されてしまう現状に歯痒さを感じているとのこと。

両者をいかにして両立させるかが今後の課題であり、W杯招致の評価軸に環境保護をはじめとしたサステナビリティ項目の重要度は増しているようです。しかし、これが逆にW杯を誘致するための必要項目を増やしてしまうため、立候補国が経済力がある国に限られてしまう可能性がある課題もあるとのこと。

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そして「サステナビリティ=持続可能性」に触れる時は環境保護に目が行きがちですが、スポーツ業界におけるサステナビリティについて私たちは「人材」と「経済」の発展も不可欠であると強く念押しされました。例えばスポーツイベントは大会が終了した後に関係者がその経験をどのように活かすかも大事であり、何事も先々を見据えた計画が大切なのだと実感しました。

3/2(月)~3/6(金)引き続き自宅待機の日々

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イタリアのゴルフ界に新たな収入源を提案するというグループ課題は卒業研究のグループで取り組みました。とはいえコロナウイルス感染のリスクを抑えるためにモロッコ人の友人は一足早く帰国していたので、Whatsappで電話しながら国境を越えて課題に取り組むことに時代を感じました。

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パワポを提出するにあたり教室での発表ができなくなったためパワポにナレーションを収録して提出したのですが、さすがネイティブスピーカーの友人たちはあっという間に原稿を作成していて感動しました。私はというと、原稿作成ではなくパワポのデザインを担当。時間が限られている状況では各自が得意なことに取り組むことで効率よく課題をクリアできた達成感はあったものの、苦手なことにもっと取り組んでもよかったなとも反省した課題でした。

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授業は全てオンラインかつ外食は避けていたため、お互いの家で集まって久しぶりにルームメイト以外の仲間たちと飲みながらパワポを作成するのは楽しく嬉しくも、そのような感情を抱くことが異常事態だとも実感。とはいえ課題を提出し終えた直後にビールとワインを開け、インド人のクラスメイトのギターに合わせて仲間たちとオアシスやレッチリなどの懐メロを歌いほっこりしました。このような楽しい時間を共有することが学生生活の重要な時間だよなー、と思いながら飲むビールはめちゃうまでした。

3/7(土)結果的にミラノ最後の晩餐

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スポーツテクノロジーの授業で課された①リーグが自前のOTTサービスを立ち上げる際のメリットや課題、②サッカークラブがファンの満足度を向上するために活用できるアプリやその他テクノロジーを用いたサービスを紹介せよ、という課題に取り組んでいました。半分ほど完成した段階でルームメイトたちと夕食にしようということで作り置きのカレーとワインを用意しました。

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いい感じで酔っ払い、課題がまだ半分しか完成していないことを忘れていた深夜、イタリア政府が国境を封鎖すると発表してクラス全体のグループチャットは大パニックに。恥ずかしながら私を含めた数人は急いでミラノを脱出するのが最善の選択ではないかもとも思い、とりあえず一人暮らしをしている友人たちに電話して困ったことがあれば私たちの部屋に来いと連絡。

そしてイタリアの近隣諸国もコロナウイルスの感染が広がっていたため、自宅待機が実は最も安全なのではないかと思いながら寝床に着きました。

3/8(日)脱出するっきゃない

しかし早朝6時過ぎにルームメイトの1人がタクシーを呼んでスイスに移動するという言葉で起こしてくれた時に「あ、これ本当に移動しないといけない」と数時間前までの揺れていた気持ちが確信に変わり荷造りを開始。そしてタクシーを1台しか確保できなかったため、他のクラスメイトたちとそのタクシーをイタリアからスイスへ入国したルガーノまでピストンすることにし、先に出発するルームメイトたちとスイスでの再会を誓い合いました。

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食糧も可能な限りスーツケースやキャリーケースに詰め込んだものの、FIFAマスターが始まってから毎週作り置きしていたカレーを鍋から捨てる時はみんなと楽しく食卓を囲んだ時間がこのような形でゴミ箱に流される悔しさ、虚しさ、無力さなどが募りキッチンで涙。

特に今回のカレーは鶏肉を倍増させて喜んでもらえたので、悔しさも倍増でした。

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そして1週間ほど前から家の近所に桜が咲いていたので、状況が安定したらみんなで花見をしたいと思っていたものの願いは叶わず。

取材を受けました

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荷造りが終わってタクシーを待っている間に前職時代にお世話になった方からミラノの現状を伝えてほしいとの連絡を受け、スカイプで取材を受けました。数年前までは取材する側だった自分が、今度は取材を受ける側になったのは不思議な感覚でした。とはいえ相手は一緒に仕事をさせて頂いた方であり、役に立てるのであれば本望だったので現状をありのままに伝えました。

全国ニュースで何度か放送されたので親族や友人から多くの連絡を頂き、とてもホッとしました。先の見えない状況への恐怖を煽ってしまったらすみませんが、事実を伝えなければと思い取材を受けさせて頂きました。

そして私だけでなく、オーストラリア人の友人も自国の放送局から取材を受けました。彼と私の放送用にミラノの街中やスイスでの生活模様を撮影した動画をオンエアでも使って頂き、前職での経験がこのような形で生きて嬉しかったです。

スイスへ移動

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一人暮らしをしている友人をピックアップし、スイスの国境沿いにあるルガーノという街に移動。先に到着していた友人たちが宿泊先を確保してくれていたのでとても助かりました。

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たった12時間ぶりの合流だったものの、数年ぶりかと思うほどホッとしました。

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翌日、4月からの拠点となるヌーシャテルに移動するためのバスに乗る前に街中をぶらぶらしていたらACミラン、ユベントス、イングランド代表などなどで監督を務めたファビオ・カペッロ氏に遭遇!しっかりと1メートルの間隔を開けての会話となりましたが、試合中の鬼の形相とは大きく異なる優しいおっちゃんでした。

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その後、バスで4時間ほどかけて学校が用意してくれた山中のログハウスに到着し、実家や別の場所へ移動済みだったクラスメイトを除いた15人での共同生活が始まりました。

3/9~10(月火)先の見えない日々に募るストレス

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最初の2日間はひとまずの生活基盤を整えることに必死だったのものの、幸いにも誕生日を迎える友人が連日でいたので誕生日会を開催して連日飲み明かしました。しかし、別の場所へ移動済みだったクラスメイトたちがそれぞれ楽しそうに過ごしている模様をインスタで見た際に誰もがイライラしている模様にお互い気付いた時、お互いを支え合おうと励まし合いました。

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オンライン授業は通信環境が乏しく電波の取り合いになってしまうため、パソコンを一台だけネットに接続し、さらにはプロジェクターとスピーカーに繋いで大画面にして受講していました。しかし期限が定められている課題提出のための調べ物が満足にできず。

そしてヨーロッパだけでなくアメリカの大学や大学院が今後の方針を発表し始めたものの、4月からのヌーシャテルでの3学期がどのような形で実施されるかなど今後の方針が学校側から中々発表されず、誰もがイライラを募らせていました。

3/11(水)カレーを作った

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以前日本から訪ねてくれた友人がくれたカレーの素を使って調理したところ、翌日の昼ごはんでも食べてもらえて嬉しかったです。どのようにしたら自分が役に立てるかを考えた結果、カレーを作ったら大成功!前日まで2夜連続で誕生日会を実施したいたので、この日は早めに寝ました。

3/12(木)学校との打合せ

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スイス国内の状況も悪化しているので、私たちはこのままスイスに残るべきなのか、それならば3月中の滞在費は支援してもらえるのか、などなど学校への質問をみんなで意見し合った時に誰もが本当に賢いなと思いました。

詳細は割愛するものの、学校とのスカイプ電話の前に各自の意見を確認した際に「全体がそれなら自分は賛成です」ではなく、各自が自身の意見をしっかり述べ、その異なる意見もまずは誰もが受け入れてから学校側への最善の提案を考える寛容さ、思慮深さなどなどクラスメイトたちから学ぶことばかりでした。

3/13(金)日本への一時帰国を決断し、飲む

ヌーシャテル州政府と、FIFAマスターが校舎として使わせて頂くヌーシャテル大学の正式発表に則る形で4/19まで全ての授業がオンラインとなることが通達されました。また、全生徒に対して可能な限り自宅へ戻ることを奨励された時には自分たちの無力感や悔しさや悲しさなど様々な感情が込み上げて思わず涙が。

28か国から集う32人それぞれ自国の状況は異なり、自国へ戻ることが必ずしも最善策では者もいますが、現時点で4/20から教室での授業が必ず再開される見通しは立っておらず、かつスイスに残るよりも自国へ戻った方が生活費もかからない、など現実的に一時帰国以外の選択肢はありませんでした。

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とはいえ何をすべきかが明確になったので、各自家族に連絡して帰国の準備を開始。翌日から移動する者もおり、この日が全員で夕食をとるのは最後ということで深い時間まで飲みながら語り合い、多くの笑いにも包まれて寝床に着いたのは朝5時ごろでした。

3/14(土)第一陣が出発

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夕方にログハウスで共に過ごした15人中7人が第一陣として帰国の途に付き、部屋が一気に静かになり寂しくも感じました。非常時に支え合い、励ましあえる仲間がいることの幸せも実感。第一陣がバスに乗る際には、最短では1ヶ月だけれども実際にはいつになるか分からない再会の時が1日も早く訪れることを願いながら全員とハグをして見送りました。

3/15(日)下山

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午前中に4人を見送り、隔離ハウスも残り4人。せっかくなので庭にある小さなテーブルを4人で囲んで韓国のピリ辛ラーメンにサトウのご飯を入れて美味しくいただきました。ルワンダ人の友人からは先日食べたカレーがめちゃうまだったので、スイスに戻ってくる時は大量に持ってきて欲しいと頼まれてすごく嬉しかったです。自分の料理が喜んでもらえると本当に嬉しいもんです。

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そしてミラノからスイスに移動して1週間が経ち、外出ができるようになったので韓国人とルワンダ人の友人とヌーシャテルの街中へ2時間半かけて徒歩で下山しました。とはいえ状況が状況なので街中の人数も少なく、薬局で消毒効果のあるハンドクリームを購入して今度は山道を3時間ほどかけて上って帰宅。久しぶりの運動と歌を歌いながら楽しく歩けたのであっという間でした。

3/16(月)帰国日を早めた

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いよいよログハウスに残ったのは韓国人の友人と私の2人だけに。夕方にスイス政府が開いた緊急会見を受け、ミラノから急いでスイスへ移動した時の再現を避けるべく水曜日のフライトを火曜日に変更。もしものことを考えて割高だったものの、搭乗日を変更できるチケットを購入しておいて助かりました。

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天気が良いので明日までに乾くだろうと思って水洗いだけど洗濯をした。すると予想以上に早く乾いてくれて助かった。最後の晩餐は引き続き韓国ラーメンにサトウのご飯をミックス。食後に庭に出て夜空を見上げると相変わらずの満天の星空。この景色をまた見れる日がどうか早く訪れますように。

最後の夜なのでウォッカのコーラ割りを飲みながらたわいもない会話で盛り上がる。レスターの寮やミラノでのルームシェア、そしてヌーシャテルの山中にあるログハウスでの隔離生活も、ルームメイトたちのおかげで寂しい思いをすることなく楽しく過ごせました。

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一時帰国とはいえ、いつスイスに戻ってこれるか確証が無いため、荷造りをしている時は様々な思いが込み上げてきて切なくなりました。

とはいえ今自分ができることは想定外ではあれど日本に”移動”し、コロナウイルスに感染しないように引き続き気をつけること。そして教室での授業が開催される”日常”が戻り次第すぐにスイスへ”戻る”こと。

そして全員がそれぞれの荷物を全て持って帰ることは難しいため、かなりの量の荷物の保管を引き受けてくれた学校に感謝。

3/17~18(火水)ジュネーブ空港からドバイ経由で日本へ

ジュネーブ空港お店閉まっている

航空券を購入した時に預入荷物を追加したつもりでスーツケースを2つ持ってカウンターに行くと、どうやら追加していないためスーツケースを追加するには10万円ほど支払う必要があるとのこと。

頭が真っ白になり正常な判断ができなくなってしまったものの、翌日のフライトを予約していたものの見送りのため一緒にいてくれた韓国人のクラスメイトが冷静にサポートしてくれた結果、空港の郵便局から大学へ4,000円ほどで郵送できたので、日本に持って帰る荷物と大学で保管してもらう荷物に分けて発送した。

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ドバイ行きの飛行機にはギリギリでの搭乗となったため、チングとのランチはできず。ちなみにジュネーブの空港では多くのお店が閉店しており、唯一営業していた売店は水を3倍ほどの値段で販売していました。商売上手だなという思いよりも、非常事態にぼったくってんじゃねーよという怒りが込み上げました。

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機内では「パラサイト」を視聴。ちょうど消灯中で機内は暗かったので雰囲気が増長されてより楽しめました。そしてドバイに到着して日本行きの飛行機を待っている間にフジテレビからスカイプ取材を受けました。「直撃LIVE! グッディ」で扱って頂いたようで、お役に立てて嬉しかったです。

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日本に到着してからは税関で10日前までイタリアにいたことを申告し、別室に移動して検査を受けました。宇宙服ばりに防御された検査員の方に綿棒を鼻の穴に突っ込まれ、鼻水を抽出される検査でした。

結果が出るまでは空港側が用意してくださった別室でオンライン講義を受講しながら待機。検査を受けたのは私のみだったため想定していたよりも早く結果を受け取ることができました。

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陰性だと聞いた時はホッとしつつも、まずは14日間の自主隔離生活でも通常通りオンライン授業があるので気は抜けません。せっかく日本に帰国したので自主隔離が終わってから多くの方に会いたいものの、スイスに万全の体調で戻ることが最優先ですし、オンライン授業はヨーロッパ時間(夕方〜深夜)なので外出はかなり限られるかと。

とはいえセリエAやATPテニスをはじめとした豪華なゲストスピーカーが控えているので楽しみです!このような状況下だからこそ、各競技団体がどのような考えを持っているのかズバズバと聞ければと思います。

何はともあれ時差生活は前職でガッツリ経験させて頂いたので体力的な負担は想像できますが、この度は貴重な経験をさせてもらっていると前向きに捉え、仲間たちと励まし合いながら引き続きガンバります。当noteはこれからも毎週更新していく予定ですので今後ともよろしくお願いします!

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