コロナウイルスが教えてくれた発達障害者が生きやすくなるヒント

コロナウイルスがついに来るところまで来てしまいました。世界的大流行により外出自粛要請ばかりか、コミケが中止にまで追い込まれてしまっています。

しかしそんな中、僕にはある気づきがありました。
それは、発達障害者が生きやすい環境が整っている国ほどコロナウイルスで人が死んでいるということです。

コロナウイルス感染要因は「生きやすさ」

コロナウイルスによる致死率の高い欧米諸国と致死率を抑えている日本の違いは、主に日本の慣習として根づいている「手洗い・うがい」と「毎日の入浴」ですが、こういった清潔さを保つ行為(特に毎日入浴)は発達障害者が苦手とする筆頭の文化です。
一方フランスの衛生観念は、手洗いをせずうがいの文化もなく、シャワーも毎日は浴びないとのこと。

また、フランスはADHDが少ないのだそうですが、これは検査方法が違うことに由来するようです。一般的なWAISやWISCが数字などで判断するのと違い、生きづらさにフォーカスしているようで、フランスの社会の仕組みは生きやすいようにできているから結果としてADHDが少なくなる、ということなんだそう。

この生きやすさとコロナウイルス感染要因が結びついて、ひとつの気づきとなったわけです。つまり「生きやすさ=濃厚接触+衛生観念の妥協」という方程式が存在することに気づいたのです。

コロナウイルスの国別感染者数が札幌医大によって公開されています。上位国は欧米諸国が多いのは知られている通りです。

人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移(国別)

フランスも上位ですが、現在コロナ死者数ダントツのイタリアにも同じことが言えます。

クリエイティブに育つには?イタリア教育事情

イタリア人は、何をするにつけても「自由」です。この「自由さ」が、日本人の私には非常識に写り、無性に腹立たしく思えるときもあれば、羨ましいときもあります。特に、ナポリのような人間の欲望をあからさまに表現する町に住んでいると、私が日本の学校教育や家庭で教えられたこと全てが否定された感じがします。

イタリアの自由さは日本では考えられないこと。しかしその自由さが子供の教育に良い影響を与えているようです。そしてその「自由さ」は生きやすさを形成する要因であると同時に、コロナウイルスを蔓延させる要因として結果的になったわけです。

自由さが感染拡大させたコロナウイルス

フランスではロックダウンの前日に実家に帰る人が続出し、それが感染拡大の主因となったことが報じられています。そしてそれにより家族が亡くなってしまったというのも、家族を大事にする故のこと。それは子供の頃からの「自由さ」によって健全な心が育てられて確保されているのです。

家族を大事にするということは、家族と常に濃厚接触するということと同義です。くどいようですが、イタリアやフランスの死者数の多さの主因はこれに他なりません。
いっぽう日本はまだ東京ロックダウンが囁かれているとはいえ、まだ抑えられている模様。

この記事によれば、ロックダウン前の感染者数が日本とフランスで同じくらいだったので、日本もフランスと同じようになるだろうとのこと。
しかし日本はこの状況を迎えるまでに、フランスから2週間遅れています。つまりこれが、日本とフランスの確固たる生きやすさの差なのです。

コロナがもたらす生きづらい日本社会の瓦解

この週末、ついに小池都知事が本格的な外出自粛要請を出したことにより、埼玉・神奈川・千葉もこれに倣って東京都への外出を自粛するよう要請しました。しかし既報の通り、ロックダウン前に若者を中心に実家に帰ろうとする動きが出ています。

これの意味するところは、生きづらい日本社会の瓦解です。これまでコロナウイルスは、日本の労働環境や当たり前のように行われてきたことの闇を暴いてきました。
愛知のコロナばら撒き発言で捜査中に亡くなった50代男性が好例です。彼は元ヤクザだったそうですが、反社会的勢力には国の支援が受けられないことが広く知られているように、日本の制度はならず者を社会復帰させないことを基本としたシステムが出来上がっています。
生活保護は水際作戦で受給を妨げ、いろんな国の支援は知らなければ享受できません。特に生活保護の水際作戦は親を頼るように言われて追い返されることが少なくありません。日本は生きづらい社会構造で毒親を量産し、その毒親から逃げられないようにして、国民を虐げているのです。

制度により国にしぶしぶ従ってきた国民が、小池都知事の自粛要請によりついに反旗を翻したのです。個人においては帰省、集団においてはK-1の開催強行です。
今後、首都圏から地方にコロナウイルスを持ち帰った人々が感染源となり日本中で広まれば、地方の古き悪しき慣習も伝統も全て破壊しつくされるでしょう。
これは日本が変われるかどうかの重大局面です。日本がコロナ死者数が少ないのは「世界トップクラスの生きづらい国」というレッテルそのもので世界の恥さらしです。その汚名をコロナ拡大によって返上するか、収束によって国として現状と向き合わずに逃げるのか、その瀬戸際が今なのです。

生きづらい日本を変えていくには、根本的に全てを破壊する以外に方法がないことをコロナウイルスは教えてくれています。
個人的にはこの程度で収束されては困ります。生きづらい人々は常にコロナウイルスとは比較にならないほどの恐怖と戦い、危機感が壊れているのです。それが和らぐなら、是が非でもコロナウイルスの感染拡大を若者を中心に助長して頂きたいと思う所存です。

以下、わかり手さん(小山さん)のツイート。現在は削除され、同様の内容が有料note記事に書かれています。

「希望は戦争」を額面通りに受け取るなら、コロナウイルスが与える影響はまだまだ弱すぎるということになります。コロナがどこまでやれるのか、それを見守っていく必要がありそうです。

発達障害者にとっての生きやすさのヒント

コロナウイルスが主に壊して回っているものは、日本の「右へ倣え」主義です。この「右へ倣え」主義が濃厚接触を阻み、今までコロナウイルスによる死者数が抑えられていたに過ぎないのです。
冒頭に示したように、生きやすさの方程式は「濃厚接触+衛生観念の妥協」です。そして発達障害者は衛生観念が苦手で、何かに依存しやすい(濃厚接触により安心感を得たい)特性を持った人が多いです。
「自粛疲れ」なんて言葉も出るほど自粛要請に対して痺れを切らした人達が次々に濃厚接触を正当化する空気がマジョリティとなりつつある今、我々発達障害者ができることのひとつは「自粛要請のガン無視」です。選挙で変えられない国をコロナウイルスが変えている現実に目を向けるべきなのです。

もうひとつ、衛生観念の妥協について。発達障害者ができることは、フランスの習慣のように「汗をかいたらシャワーを浴びる」など限定的にして「風呂に入るのは毎日じゃなくてもいい」と割り切ることです。そしてこれを濃厚接触とコンボにすることが、衛生観念の妥協を持続するコツになると考えます。

「濃厚接触」を最も単純かつ額面通りに考えるなら、その言葉の意味するところは「セックス」になります。

濃厚接触するために本来の理想である衛生面をしっかりできるところがソープという場所で、セックスというシーンです。これを踏まえれば、発達障害者が衛生観念を妥協しつつも一定の衛生面を保つコツは、セックス(人と会うことの延長線)に衛生観念を全振りすることです。ふだん適当に風呂に入って、セックス(濃厚接触)の可能性を考慮してそこに衛生観念を傾ければいいのです。

今の風俗は濃厚接触を避けてお客さんが減り、大打撃を受けているそうです。濃厚接触を自粛すればそれだけ生きづらくなります。コロナウイルスよりも恐ろしい「生きづらさ」は避けなければなりません。右へ倣えで自粛してる場合ではないのです。

現状維持と変革のどちらを選ぶべきか

これは発達障害者に限らず人類に言えることです。病気を蔓延させて社会を一旦全部破壊して再構築するか、収束させて数多の問題を内包したままの社会を維持するか、コロナウイルスは人類にこの二択を迫っているのです。
「コロナウイルスを収束させて社会も変えていく」という考えは既に絵空事です。理想論です。もう収束できないことは誰の目にも明らかです。呑気に犯人捜しをしてその場凌ぎをする政治家の無能さ、そして自粛要請に傾斜して帰省しないように呼びかけるSNSの論客には、この現実が見えていないのでしょうか。
どう考えても、長い目で見れば前者を選ぶべきです。僕は迷わずコロナ蔓延を助長するほうを選びます。無論ですが自分が感染することも覚悟の上です。

変化には痛みを伴わなければなりません。まさに今がその時です。
僕は発達障害者の一人として、そして精神病者(セックス依存症)の一人として、何よりも人類の一人として存続の道を選びます。全ての人にその勇気が必要だと思います。

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