昭和基地バー

お祭りだって大変だ

#10年前の南極越冬記  2009/6/27

ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。

※MWF: Mid Winter Festival(極夜祭)

◇◇◇

昭和基地は今日もブリザード。ブリザードになると基地の外へと出ることはできず、僕の仕事である観測作業はしばしのお休みとなってしまう。こんな日はもう諦めて、基地の中で調理や機械隊員の手伝いなどをして過ごす。今日は明日の昼飯の仕込みや、風呂の配管の清掃などを手伝わせてもらった。前夜祭と本祭3日間で行われたMWFも終わり、基地の中もようやく日常の生活を取り戻しつつある。

MWFは全てが隊員の手作りだ。自分たちが楽しむお祭りは、自分たちの手で作る。僕はMWFの実行委員長だったので、企画や運営、そして安全を取り仕切ることに頭がいっぱいで、正直祭りを楽しむことはできなかった。例年がどうかは知らないが、今年のMWFは天候に何度も泣かされた。前夜祭当日までブリザードによる外出制限令が解除されず、幾つかの野外イベントを室内で行うことを余儀なくされたし、MWFと平行して除雪も行わなければならなかった。

MWのこの時期は、事故が起こりやすい時期でもある。越冬生活にも慣れ、さらに極夜のストレスにより、自分たちの気付かないところでの気持ちの変化が表に現れてきやすい時期だ。加えて祭りの期間中は、飲酒と開放感で気持ちも緩みやすい。過去の隊でもMWFの期間中に起きた事故が幾つか報告されている。幸いにも今回のMWFは事故なく無事に終える事ができた。

僕の方でも事故が起こらないように、幾つか決まり事や対策を準備してMWFを迎えたが、黙ってそれをサポートしてくれていたのが越冬経験者の隊員たちだった。企画や運営全般にも言える事だが、経験者の隊員は、越冬初心者の僕らが「これをやりたい!」と提案したことに「無理だ」とか「こうしろ」とは言わない。「初めての新鮮な気持ちで自由にやりたいことをやればいい。それをどう実現させるかを考えるのが俺ら経験者の役目だ。」とだけ。僕らの見えないところで、シフトを替わってくれていたり、普段はもっと飲むくせに抑えていたり、早起きして除雪の準備をしてくれていたり、初めてのメンバーができるだけMWFを楽しめるようにと、陰ながらサポートをしてくれている姿を僕は何度も目にし、素直にそれに甘えさせてもらった。

全ての後片付けを終えて、その帰り道にふと見た基地の風景が、初めてここに来たときに見たときと同じようになぜか眩しく見えた。初めてのMWFを楽しむことはできなかったけれど、その代わりにみんなから胴上げという最高の思い出を貰った。「今夜は飲むぞ!」舞いながらそう思った。隊で一番年下の僕に委員長を任せてくれ、信じて付いて来てくれた実行委員や皆に感謝して。

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