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無停電という誇り

#10年前の南極越冬記  2010/2/1

ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。

◇◇◇

2月1日、僕らは荷物をまとめ住み慣れた基地主要部から夏宿舎へと移動した。天気は生憎のブリザード。荷物が飛ばされないように、ダンプの荷台で数名が重しとなって荷物を押さえながらの引っ越しとなった。51次へ基地を受け渡す準備を全て整えてから、越冬交代式が行われる。例年ならば「昭和基地」の看板が立つ19広場(イチキュウ・ヒロバ、19次隊の時に整地された広場)で式が行われるのが習わしだが、今年は食堂での式開催となった。50次隊、51次隊とが向き合って一列に並び、隊長からひとりひとりの名前を呼ばれた後、全員と握手を取り交わしながら立ち位置を入れ替え、越冬交代成立となる。シンプルだが厳かな儀式だ。

昨晩の0時00分には、機械隊の中で別の儀式が執り行われていた。発電機の無停電継続時間を示すメーターをゼロへとリセットし、基地設営業務を51次へと引き渡す儀式だ。50次機械隊はこの1年を続けて、無停電を達成した。これは本当に難しいことで、50次隊全体にとっても大きな勲章だ。普段は口では多くを語らず背中で語るタイプの機械隊チーフが、越冬中にずっと口に出して言い続けてきたのが、この無停電を必ず達成するという強い意思だった。その言葉通りに無停電を達成し、儀式を終えたチーフの顔は晴れやかだった。

越冬交代を終えて、それぞれが新しい住処に落ち着き始めた昼飯頃に、火災報知器が発砲した。場所は50次では僕が管理していた地震計室。この建物は越冬後半、強風が吹くたびに誤報を発砲することが度々あったため、今回も強風による火災報知器の誤作動が考えられた。しかし誤報であろうとなかろうと、いつもであれば僕らは即座にそれぞれの消火態勢の持ち場へと走る。たとえ外がブリであろうとそれは関係は無い。現に50次が経験した11月23日の火災事故はブリザードの最中での出来事だった。でも既に越冬交代を終えた今、もう昭和基地の管理は全て51次へと引き継がれている。皆それぞれ今にも昨日までの持ち場へと走り出しそうな気持ちをグッと抑えながら、黙って昼食を摂った。

しばらくして全館放送で「ただいまの火災報知器は誤報です」とのアナウンスが流れ、夏宿の食堂にもいつものランチタイムが戻ってきた。

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