「ケルト音楽」について何か書かなければ、と思ったきっかけ
「原始から現代まで連綿と続く民族の文化」ーそんな単純な歴史ストーリーに、人はとても惹きつけられます。けれども、人と文化の盛んな交流の歴史を持つヨーロッパに位置するアイルランドにあって、紀元前までさかのぼれる単一民族や、古代からの純粋な伝統、というのにまず違和感を覚えるのです。
同じ国においての遠い異文化体験、フォークリバイバルでは、たびたびその距離感を古代風に表現した
「ケルト音楽」というネーミングを2010年代に初めて聞いたとき(アイルランドでは、音楽家が音楽をそのように呼んでいるのを聞いたことがなかったので、それは日本においてでしたが)、私は特に気に留めませんでした。
なぜなら、何をイメージしてもそれは自由で、実際、音楽が復興してから、演出家や音楽家の多くが、遠い祖先をイメージして、神秘的であったり荒々しかったりする表現をしてきました。フォークリバイバルは、同じ国でありながら、異文化体験であったのです。
単なる概念や商業的なネーミングに、肉付けした嘘の音楽史がネットで拡散
けれども、「ケルト」という名に導かれるように、「ケルト文化圏の音楽」「ケルトの楽器」「ケルト民族の音楽」「ケルトの地や言語で演奏される音楽」などと本気で説明がつけられるとなると話は違ってきます。なぜなら、音楽は「ケルト」では説明できるものではなく、デマを含むからです。(詳しくは『ケルト音楽を検証する』をご覧ください)。
あまりにうすっぺらいニセの音楽史に、誰もが違和感を抱くだろうと見過ごしているうち10年くらい経ちました。
それでどうなったかというと、嘘がますます本当のようになってきたのです。誰かがネット上で作った「ケルト音楽」の作文が、あたかも本当の知識であるかのように流通し、テレビで「2000年前の音楽」と放送されたときには腰を抜かしました。
ネットの言説が人々に気に入られ、流布し、嘘がまかり通る
近年、問題になっているニセ科学といわれるものはネットで広まりやすく、その間違いは訂正されにくいものです。けれども、ニセ科学は放置してはいけないといわれています。なぜなら虚偽が広まると世の中の良識を低下させるからです。
音楽の世界で間違えがあっても、直接困る人はいないかもしれません。けれども、音楽もなんらかの形で世の中に影響を与えるものですし、良識はどんな人にとっても大切です。
デマをデマだと批判することの必要性
今は、何か調べるとき、ネットで検索しますよね。すると、「ケルト音楽」について、もっともらしく書かれた同じような内容の記事が上位にヒットします。
情報の精査というのは案外難しいものですが、少なくとも、ネット上にひとつくらい反論記事あるべきだと思い、ケルトについての記事を書こうと思いました。
これらは、『「ケルト」と音楽の関係がよくわかるマガジン』にまとめています。ご興味があれば読んでみて下さいね。
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