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私のnoteの記事が、アイルランド音楽の海外の有名サイトで紹介された件

私のnoteを読んでくださっているみなさん、いつも、ありがとうございます!私は、かねてから、自分の書いたものを時間が出来たら英訳して現地の人からの反応を聞きたいと思っていました。それが先日、日本の音楽家から紹介されるという思いがけない形で実現しました。ページまるごと翻訳できるGoogleのAIの翻訳機能が使われて、アイルランドの伝統音楽では有名な「The Session」というサイトで、多くの方に読んでいただく機会を得たのです。


「The Session」というサイトについて

ご存知の通り、このサイトは、ネット上の曲集の役割をしていて、アイルランド(イギリス諸島、アメリカ、カナダを含む)の非常に多くの伝統曲が掲載されています。

さらに私は、曲のアレンジを参考にしたり、バージョンやタイトルを調べたり、曲が誰によってどのアルバムに録音されているか、という情報を得たりしています。

そして、「ディスカッション」のページでは、年季の入ったその筋の「物知り」たちが、いろんなことを話し合っています。

例えば、1950年代のアイリッシュシーンで有名となったロンドンのパブ「お気に入り亭 The Favourite」(緑の本p55、写真掲載)についてであれば、その正確な住所、その後パブが廃業になったいきさつ、そこで演奏していた音楽家の逸話、そこに実際に行ったことがある人が当時の雰囲気を教えてくれる、といった具合に、非常にコアな情報が得られるサイトです。


「The Session」に私の記事が紹介される

2023年5月29日に、この「ディスカッション」のページに、日本のフルート奏者hataoさんという方よって『「ケルト音楽」という言葉は不適切でしょうか?』というテーマで投稿がなされました。彼は、その言葉の使用について自らの考える正当性を述べた後、反対意見として私の拙記事『ケルト音楽を検証する』を紹介してくれたのです。

コメント欄には、「ケルト主義」とナチズムの関連を知らなかった人たちの驚きや、「ケルト」の指す枠組みなどについて、ひととおり議論がなされたところで、私も(いそいでアカウントを取って)このようにコメントしました。

「みなさん、こんにちは。
私は日本に住んでいるフィドラーでフィドル教師をしているTamikoと申します。hataoさん、ここで私の記事を紹介してくれてありがとうございます!

さて、hataoさんがセンセーショナルに私の記事を紹介してくれたので、まず、誤解を恐れずに申し上げますと、(投稿のテーマである)「ケルト音楽」という言葉が適切か否か、という問題は二義的であると私は考えています。私が常々から問題にしておりますのは、それが学術的に正しいとされていないのに音楽をすべて「ケルト」で説明しようとする点です。

そうしたことを広めてきた音楽家の一人がhataoさんであることは、日本ではよく知られています。彼は、日本ではこの音楽の世界で影響力を持ち、「ケルティック・フルート・ショップ」のオーナーであり、日本とアジアで手広く販路を持つ音楽ビジネスマンでもあります。

そして、これは彼のHPです(リンクを示す)。彼のHPは「ケルト」で埋め尽くされています。つまり、日本語で「ケルト」と検索すると、彼の店やHPがトップにヒットしてくるわけですね。しかしながら、私は、「ケルトマニア」がいけないなどとは思っていません。

hataoさんのHPの「ケルト音楽って何?」のトップ画像。古代の説明が続きます。しかし、「ケルト」という用語を使っても決して古代を想像してはいけないそうです。難しい要求です。pixabay.com

最後に、hataoさんは自身のSNS上で『海外では誰一人としてケルトとナチズムの関連性を聞いたことがないそうだ、(Tamikoは)飛躍しすぎている』と自分の都合のいいように切り取ってこのディスカッションのページを利用していることを、みなさんお含みおきください。

私は、立場ではなく、常に音楽の本質的な話をしたいと思っています。音楽の入り口がたとえ「ケルト音楽」であったとしても、その後、徐々に音楽への理解が深まることを願って、私はたくさんの民俗音楽の記事を書いています。みなさんも、よかったらどうぞお読みください(noteのリンクを示す)。

どうぞ、よろしくお願いします!」


「ケルト」と人種主義について突っ込んだ会話がなされる

その後も、さまざまな意見が出ました。もちろん、何の問題もないという人もいました。しかし、そういった人も含めておおむねでは、良きにつけ悪しきにつけ「ケルト音楽」はプロモート用に作られたマーケティング用語であるという認識で一致していました。

そして、それが指すものは非常にあいまいで内容がないので、「ケルト音楽」という名前を使わずに、アイルランド/スコットランドのように地域名で呼ぶのを好むという音楽の実践家も多く見られました。現地の音楽家は日本ほどケルト、ケルト、と言いたがらないのは本当です。

それから、『「ケルト」は現代の人種主義?』の件については、白人至上主義者たちによる「ケルト十字」の使用や人種差別とのつながり、音楽祭が極右に乗っ取られる可能性、政治が音楽を盗用していること、「ケルト」が「人種」を想像する試みだと感じられること、「ケルト」の概念が現在のネオナチに関連していること、など、知ってる人は知っているという感じでした。

そういったいまわしいイメージが付きまとうので、わざわざ「ケルト音楽」という名前を使わないのが賢明だという意見もありました。

近年では、アイリッシュに限らず多くのフォークミュージシャンにとって、「ケルト」を冠した音楽祭に参加する際に、その主催者が極右団体でないかどうかを確認しなければならず、非常に頭の痛い問題だそうで、今回、私もそのことを初めて知りました。「ケルト」音楽祭は必ずしも平和的ではないようです。


おわりに

私は、知識やバックグランドがさまざまな人たちが集うインターネット上で議論が成り立つのかどうか、ずっと疑問に思っていました。

なぜなら、日本では、ネットでひとつの反対意見が上がると、インフルエンサーによる印象操作やレッテル貼りに始まり、アンチによる嘲笑、揚げ足取り、バッシング、忖度しないことへの圧力、仲間外れの呼びかけ、ネガキャン、人格攻撃など、まったく酷い目にあうことを私はこの数年で実際に経験しているからです。

ところがふたを開けてみると、「The Session」には、現実社会で議論慣れしていると思われる人々がそこにいて、日本では陥りやすい相対主義(みんな違ってそれでいい)や、感情論(気に入る気に入らない)ではなく、反対するにも指摘するにも、議論のやり方をよく心得ていると感じました。なにより、私の意見と人格が、そこでは尊重されたのを感じました。

さらには、私のコメントや記事がユーモアにあふれていて分析も面白かった、という英語圏の方から、翻訳を手伝ってあげましょうという申し出までありました。AI翻訳は誤訳が多いし、学術的な細かい点は英訳するのに骨が折れるので、そうした友人ができたのはとてもありがたいです!


Thank you, hatao!


当該の「ディスカッション」のページ:

投稿主の質問するところの意図が今ひとつ掴みにくいです。サイトに集う人々から広く知見を伺うという本来の趣旨を尊重するならば、意欲的な生徒としてこう質問したかったのではないでしょうか。

「私(投稿主hatao)はケルト音楽という名称を気に入っておりますが、ケルトがナチズムに関連すると聞いてから大変気になっています。それが本当であるのか、詳しい人がおられましたらぜひ教えて下さい。できたら、そうでないことを願って!」


このディスカッションの最後の方で、投稿主hataoが「『ケルト音楽』と言う用語を廃止すべきだという結論には疑問がある。」と述べたことに対して、「廃止すべきだと言ったのは誰ですか?」と他の人が尋ねています。世の中に出回っている用語を誰がどんな手段を使ってどのように廃止しようとしているのか、私も大変気になります。



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