生存者 野村英三 広島県燃料配給統制組合職員 燃料会館 原子爆弾 爆心地 170m 1945.08.06 日本 20230905

https://twitter.com/wetanddry0000sm/status/1698618829054845038
原爆ドームは皆知っていても爆心地から170m先の燃料会館が爆風に耐えた事もその時に地下室に居た1名のみが助かって長生きされた事実も知る人は少ない
5:47 PM Sep 4, 2023

https://twitter.com/wetanddry0000sm/status/1698618853960585377
燃料会館(戦前:大正屋呉服店、現:広島市レストハウス)1924年竣工の増田清氏設計による地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造ビル 偶然書庫だった地下室に降りて書類を探していた男性を密閉性の高いこの空間が爆風からも放射能被害からも最小限に守った 男性は爆心地から一番近い生存者と言われている
5:47 PM Sep 4, 2023

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?bombing=2017-44
[伝えるヒロシマ 被爆70年] 爆心地の惨状書き残す 170メートルで被爆の野村英三さん 追悼祈念館が収集へ | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
 1945年8月6日、県燃料配給統制組合職員だった野村さんは、爆心地の西南約170メートルとなる燃料会館(現平和記念公園レストハウス)の地下室にいた。出勤者は37人で、うち8人がコンクリート造りの館内から脱出したが、唯一の生存者となった。
(略)
旧広島大原爆放射能医学研究所が72年に半径500メートル以内での生存者が78人いることを突き止めると、最も近距離だったのが分かり、証言活動を晩年まで続けた。

https://www.global-peace.go.jp/taikenki/taikenki_syousai.php?gbID=294&dt=151031201314
国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク
■爆心にあびる(爆心に生き残る) 
野村 英三(のむら えいぞう) 
性別 男性  被爆時年齢 47歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1950年 
被爆場所 燃料会館(広島市中島本町[現:広島市中区中島町]) 
被爆時職業 一般就業者 
被爆時所属 広島県燃料配給統制組合 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
●爆弾症
九月一日の夜、急に悪寒を感じ、四十度前後の発熱はその後七、八日間続いた。この間廿日市町では、毎日毎日何人となく自分のような状態の者が死んで行った。のどは痛んで来るし、出血斑紋は五、六ヶ所も出る。歯茎がくさり、悪性下痢は十日以上も続くし、体はクタクタに衰弱して行った。薬は無し、医師は手当の方法が分からぬらしく、親せきも家族もあきらめていたという。
とにかく、時が経(た)つにつれて、元気が回復し、今日健康になっているが、近頃爆弾症による盲目が出はじめていると聞く。
あの朝、国民儀礼に参加した三十七名中の三十六名の霊よ安らかに眠れ。ああ!
一九五〇年七月記 野村英三(五二歳)
出典 『原爆体験記募集原稿』 広島市 平成20年(2008年)

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