エビが嫌いだなんて嬉しい

一緒に出掛けた友達と、遅い昼ご飯を食べた。
私はトマトと海老のパスタを、彼はしらすのジェノベーゼを頼んだ。
お店の人が気を利かせて小さな取り皿をくれたので、ちょっとだけ分け合って食べる。

ぷりぷりの海老をおすそ分けすべく皿に盛ろうとすると、
「あ、僕エビだめなんです。」と止められた。
思わず「そっか、知らなかった~!」と返したら
「当たり前ですよ。一緒にご飯食べるの初めてじゃないですか。」と笑われてしまった。
私も一緒に笑った。

私の笑顔には、彼のことをちょっとだけだけれど新たに知れた嬉しさが混ざっていたと思う。

〇〇君はエビが嫌い。エビが食べられない。
家に帰っても頭のなかで繰り返していた。

一緒に入ったお店がビールをたくさん取りそろえていて喜んでいた。
ビールが好きらしい。
パスタの前に出てきたシーザーサラダを、ふたりして夢中で食べた。
果物のアクセントが効いたサラダをおいしいと思うのは私と一緒なんだな。

エビのこともエビ以外のこともたくさん反芻する。
些細なことなのに、やけに嬉しい。
気が付いたら「エビが嫌いなんだって。嬉しい。」とひとりごちていた。

いやいや、エビは食べられるなら食べられたほうが彼だってよかろうに、変な独り言だ。

半年近く経つとはいえ、多少は失恋を引きずっていて、どんなふうにひとを
好きになり始めるものだったか分からない。
とても大切な恋で、それを抱きしめて生きていければいいような気がしていた。

友達のことを少しずつ知るのは、面白いし楽しいし、嬉しい。
それにしても今回は喜び過ぎだ。

これは、誰かを好きになる兆し?
小さい頃は、この知りたいを「好き」って呼んでいたような。

ひとまずは、嬉しいをいっぱい重ねてから考えることにした。

彼は私と出かけてなにを思っただろう。
わたしの好きとか嫌いに、興味を持ったりしたのだろうか。

待ち合わせの日の昼前に「おはよー」とラインしたせいで、朝が弱いのはバレている。

次の待ち合わせも午後にしてくれた。
ちょっとダメなところを知られちゃったけど、許されているみたいだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?