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味噌汁の正解
栄養の偏りのせいか、濃い味のせいか。外食続きで味覚が鈍りつつある今日この頃、味噌汁の正解が分からない。
いや、こんなのは言い訳で、かねてよりずっと分かっていない。
実家の豚汁は好きだった。恋人が土井善晴の動画を見て作った、卵の入った具沢山の味噌汁も美味しかった。広島の定食屋で飲んだ粕汁は芯から体があたたまった。
それなのに、美味しい味噌汁がわからない。
食べておいしいと思うことはあっても、作るとなるとどんな味を目指したらいいのか皆目分からなくなる。美味しいと思う味噌汁それぞれがあまりにも方向性の違う味をしていて、目指すべき道を見失ってしまう。
三叉路、四叉路、五叉路、もっともっとたくさんに分岐した道の真ん中に放り出されたような気持ちになる。
それでもなんとか美味しさの核を見つめれば、どの道の先にも「出汁がしっかり出ている」ことが挙げられる気はする。
具沢山であるとか、茸のように旨味の強い食材が入っているものを美味しいと感じやすい。
ここでまた不安になる。
豆腐とネギの味噌汁のようなベーシックであっさりした具材の味噌汁を美味しく作るにはどうしたらいいのだろう。
実家では、豆腐とネギの味噌汁は父がたまにつくってくれていたが、味がぼんやりしていて苦手だった。父がつくってくれるなめこの味噌汁は大好きだったのに。父もまた、味噌汁の正解をしらないのかもしれない。
シンプルで美味しい味噌汁の要は、きっと出汁の引き方にあるのだというのは薄々分かっている。
でも、どこかで聞いた一番出汁とか二番出汁とかというこを思い出して、調べるのも億劫になる。
そんなこんなで実は味噌汁にとどまらず、和食全般美味しく作る自信がない。
ガンガン煮出してガツンとおいしい料理に逃げてしまう。韓国の真っ赤な肉じゃが「タットリタン」やスパイスから作るキーマカレーが得意で、よく人に振る舞う。得意料理を聞かれれば、その二品だと答える。
すごいねと言われるたびに、ドキドキする。
「でもわたし、毎日食べたいお味噌汁がが作れないんです…。」と、口に出したり出さなかったりする。
つくらなくては上手にならないとは思う。けれども、なまじいろんなものを作れるようになって、美味しくない味噌汁を錬成するのが怖くて逃げる。だって小学校の家庭科でも習うのにできないなんて、と、変なプライドが邪魔をする。
そうしてまた、ナンプラーとかコチュジャンとか、飛び道具みたいなものを使ったレパートリーばかりが増えていくのだ。
そうこうしているうちに、飛び道具の扱いも手慣れてきて、コチュジャンなど年に2、3箱消費する。味噌は1箱使い切らないのに。
冷蔵庫の中を見ながら、いったいわたしの食のアイデンティティは何処へと苦笑する。
韓国には留学していたことがあるので、わたしのコチュジャンは人生に根ざした味ではあるのだが。
人生に根ざした味で思い出したが、初めて美味しいと感じた味噌汁は九州の麦味噌のものだった。父の仕事の都合で鹿児島の幼稚園に通っていたときに、給食で出会った。すごくすごく気に入って、家の味噌も麦味噌にするようにねだったらしい。
もしかしたら、麦味噌に、自分の思う美味しい味噌汁を作る鍵があるかもしれない。出汁のことはひとまず置いておいて、今度探しに行ってみよう。人生に根ざした味を、生活の中に置いておきたい。
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