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  3/7  中学卒業から今日でちょうど1年が経った。
1年前の自分からの手紙を受け取った今、何ひとつ飾らず当時のわたしの言葉をここに綴ろうと思う。

↓↓追想

  拝啓、1年後のわたしへ。
こんにちは、1年後のわたし。高校生活充実させてますか。そうなってると信じますね。
2時間前に終わった卒業式、まだ実感がありません。女子より男子のほうが号泣してたことに驚いた。
まあ、みんな号泣してたけど。わたしは笑顔7割、涙3割の比較的笑顔でみんなとさよならすることができた。
最後のHR、今日で最後の帰りの会。さすがにこの時は泣いた。
最後のこの時間を目一杯楽しんで過ごせたと思います。

  私たちの中学校生活は新型コロナウイルスとともに始まった。
入学して2ヶ月の休校期間を経てはじめて顔を合わせたクラスメイトの顔は半分以上白い布に隠されていた、それが当たり前だった。
漠然と訳の分からない不安感と焦燥感、言葉に言い表せない蟠りの中、叫び出すように殴り付けるように、自分の想いを描いた担任への手紙を。先生はまだ今も変わらず持っているのだろうか。

  2年生にあがり生まれて初めて「恋」というものを知り、形式だけの「恋人」ができた。
これについてはあまり振り返りたくない思い出。
そして、時間は巻き戻らない。もう2度と同じ刻を刻むことはできないことを強く感じた1年でもあった。
私が傷つけた「彼」も、私たちが共にいることで傷ついていた「貴女」も、私たち2人を傷つけていた「彼」も、きっとそれぞれの想いがあったと言じたい。
10年来の自分の親友と彼が私の知らないところで付き合って別れてるなんてこと、その時の私は知らなかったけどね。
 
  3年生にあがって、「最後の1年」を強く意識した。
移動動物園みたいに騒がしくて煩いクラスだったけど、すごく男女の仲がよかったクラスだと思う。たぶん、学年で1番だったんじゃないかな。
修学旅行。1年の最初に行くはずだった宿泊学習も、2年で出発1週間前に言い渡されたスキー合宿の中止も。それを忘れるぐらい楽しい「最初で最後の」学年で行う宿泊行事になった。
受験シーズン。国立、高専、特色、私立の推薦一般、そして公立の推薦入試本番がすべて終わった2月の上旬。廊下に響いたのは普段怒らない先生の怒号。一気に凍りつく私たち3年のフロア、一言も喋るのを許されないような空気の中、隣の席の子と目だけで怯えて筆談したのも今となれば良い思い出で。
そして、迎えた卒業式。
並べられた椅子は離され、式中もずっとマスク。外すのは学年合唱の時だけ。この全員で歌い上げるRADWIMPSの「正解」が、学年でやる初めての合唱なんだな、と冷ややかに思った。最後にはじまる初めてってなんだよ、って。
後悔と言われる後悔はないけど、ひとつだけ。一回でいいから合唱コンクールに出たかった。

  卒業するにあたって、総合の時間に「将来の自分への手紙」を描いた。タイムカプセルにして3年後、18歳になったら開けるらしい。あのグラウンドで。
何を書いたからは正直あまり覚えていない。就職してますか、大学行ってますか、的なことだったと思う。この手紙は「将来の自分に」じゃなくて「今の自分」を写しているものだからタイムカプセルとは全く関係ない。ありのままの私を映している。
この3年間はどんなものになったか。小学6年の自分が中学の自分に向けた手紙の通り、生きることはできたか。
式を終え、これを描いている今、そんなことを思う。3年前の手紙の最後の一文はこう締め括られていた。

「人は人。自分は自分。わたしらしく、ファイト。」

この最後の文に込めた想いは、小学生の自分にはできなかったことをこれからの3年間を通してできるようになる。
そんな新しく始まる生活の中で後悔して生きないように。そんなような願いだったと思う。

高校生活、すごく楽しみ。

敬具

2023.3.7 14:42:19 白月嶺葉

  過去からの手紙をここに写し終えた今、3年間のいろんなことが思い出された。

  式典後のHR、誰もいなくなった教室で担任の先生から渡された日記にはこう書かれていた。

「新しい楽しいことや、幸せなことで記憶をいっぱいにしていこう。あなたは人に優しい、人に親しい人です。
これから先。貴女の光ある未来に、周りに、幸せが集まりますように」

  私のことを1年生のころからずっと見守ってくださっていた先生に頂いたお返しの手紙にはこう書かれていました。

「誰よりも周りを見て動いている、しなやかな強さと芯を持つ子。それでいて誰よりも繊細で弱いのに強いフリをする子」

  中学の3年間を振り返って、過去からの手紙とそれに関するものたちに目を通しながらこれを描いている今。
嶺葉はたくさんの人からの愛をもらって生きてきたことを再確認しました。

もらった言葉。
重ねた感情。
3年なんて短い時間じゃ返しきれなかったありがとうとごめんね。

もらった言葉と恩を糧に私がこれからどうわたしを生きていくのか。
もらった恩を次の誰かに渡すのか、言葉でまだ出逢ってない大切な人を救うのか。それはまだ分からない。

少なくとも、中学の3年間知った言葉のぬくもりと瞳のあたたかさは忘れない人で在りたいなって思う。


長くなりました、ここまで読んでくれた方ありがとうございます。

  みなさまに素敵な春が訪れますように。

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