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「心の詩人」室生犀星

 今日、同人誌『カナリア』の秋季号の特集だった室生犀星の詩集のエッセイを書き終えた。私は室生犀星の詩集は、初めて読んだけれど、犀星は「心の詩人」だったのではと思った。犀星の詩の世界は、どの詩のなかにも、あたたかく切ない人間愛があると思う。また、犀星の詩を読んでいると、自分が初めて「詩」というものを書き始めた頃の気持ちに戻ることが出来て、私にはとても、懐かしい未来のように思えてならない。また、犀星の詩は人を思う切なさや優しさや、哀しさのようなものも描かれているが、私はだからこそそのなかに、それでも詩を書いて生きていく、という犀星の生命力や深い強さを感じる。室生犀星という詩人は、詩を愛し、人を愛し、心を愛し、その大切さをずっと詩に描いて来た詩人だったんだということが溢れるようにわかって、私は嬉しかった。

 私は書けたエッセイをすぐに発行人である、詩人の服部剛さんにメールしたら、服部さんが私にLINE電話を下さり、「今回のエッセイは、今までも良かったが今回のはとりわけ最高です!」と褒めてくださった。服部さんとは、私が21年前、初めて現代詩の扉を叩いてからの御縁で、ワークショップ青の日(『詩学』)の時代からともに切磋琢磨してきた詩人だった。服部さんはクリスチャン(カトリック)で、同じクリスチャンで作家の遠藤周作氏に深い影響を受けた詩人で、カトリック詩人だった野村英夫(四季派の詩人・堀辰雄を敬っていた)の遺志を受け継いで、カトリックと四季派の詩人の融合として、同じくクリスチャンの詩人で編集長の宮田直哉さんと二人で発足した詩誌がこの『カナリア』だった。服部さんは、同人誌を通して、今の荒んだ日本社会に詩の心を届けたい、というのが趣旨だったらしく、私のエッセイはまさに的をついているらしいのですごく喜んでいた。嬉しかった。

 話を戻すが、今回室生犀星の詩集を読んでエッセイを書いていて、私はもう一度、何故、何のために詩を書いているのか、それは服部さんと同じく詩の心を持って、詩を愛することの大切さや、人を愛することの大切さを伝えていきたい、と思ったから今日まで詩を書いてきたんだ、ということに気がついた。その時、不意に心のなかにあたたかなものを感じた。それはきっと、室生犀星の魂が、私の心に宿ったのではないかと感じた。

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