母の教え
最近になって、よく思うことがあります。
それは、「母の教え」です。母は、私が小さい頃から、幼稚園でも、「お友達は大切に。嫌がること、傷つけることは絶対に言わないこと、押し付けないこと、自分の意見を言う前に、まず相手の話をきちんと聞いてから、意見を言うこと」
私が社会人になってからも、母は再三「人は大切に」だった。そして、結婚したら必ず「旦那を立てろ」だった。「人を大切に、自己主張をするな、相手を立てろ」とは、今の時代では些かキツいかもしれないが、SNSが普及し、コメントや私信で自由に自分の意見やアドバイス等がやりやすくなっている昨今、私は尚更、母の「人を大切に、不快感を与えるな」という教えの尊さがわかる。
小学校6年の時に、初めて、日本国憲法の有名な3つ、「平和主義」、「基本的人権の尊重」、「国民主権」というものを習ったとき、私は特に「平和主義」と「基本的人権の尊重」という言葉にビビッと、背中に電流が走ったような気がした。だからって、弁護士になろうとは思わなかったけれど、やはり「基本的人権の尊重」は大事にすべきだと肝に命じた。だから、私は争いが嫌いだ。人を傷つけることが嫌いだ。そんなことをするくらいなら一人でいたほうが遥かに良い。今でも思う。私の考え方は頑なで堅物かもしれない。しかし、嫌なことは嫌なのだ。だから私は、10代の頃から読書や、モノや絵を描いたりすることにひたすら没頭したのだろう。母は詩を書かないし、文学は純文学、SF、推理小説が好きで、詩はわからない人で、詩を書くための会合や研究会に行こうとする度に母とは喧嘩になるのだが、あの母の教えがあったから、私は生まれつきの足の障害やいじめや嫌なことがあったけれど、非道な道にそれることなく、今まで生きてこれたのだと思う。
だが、悲しいことに「人なんか大切にすることなんかしなくていい」という意見の人もいることは知っている。寧ろそういう人の方が多いのではないのだろうか。しかし、私はそれらを全力で振り切りこれから先も母の「人を大切に」という教えを胸に生きていくだろう。大切なことは、何より自分に負けないことだ。