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カメラを忘れて思ったこと

 現在北海道旅行中で二日目。終わってから色々記録を書こうと思っているがなぜ今リアルタイムであげたのかというと…ホテルにカメラを置いてきたのがショックだったから。
 カメラを持ち歩きはじめてから約7年で初めてのことだ。今回はOsmo poketで動画を撮ることを意識した慣れない環境だったのもあったと思うけれど、さすがにカメラない旅行になるという自体に非常に落ち込んだ。

 落ち込んで思った。
 私、なんで写真撮るの好きなんだっけ。

 初めてカメラを買ったのは大学三年の春頃だったか。日々旅行のためだけに費やしていたバイト代を初めて欲しいモノに使った。ちゃんと「欲しい」と思ったものに使えたことがなんだかとても嬉しくて、この時買ったNikon D5500は未だに使っている。
 スマホやデジカメでいいものをなぜ一眼で買ったしたかというと、「この時のこの景色はこんなにも美しかったのか」という"思い出し感動"を共有したかったから。
 あの時観た景色、あの時食べたものなどをより美しく残せるのであれば残したい。たまに自分で撮ったスマホを見返して「こんな景色じゃなかったんだよ…」と思うのはなんだか悔しかったし、行った人たちと「こんな感じだったよね。あのときこんなこと話したよね…」と一枚の写真で色んなことを思い出せたら最高ではないか。

 それに一眼で撮ったものを編集すればその景色を見つめる時間は長く、その時あった色んなことを思い出す。そんな時間を過ごせる編集の時間も大好きになり、最近は編集時間も旅の一つだと思っている。

 そう思うと、もう私にとって旅はカメラと共にあるだな。

 …っと、最初からわき道に逸れているような気がするが、なぜ私は写真を撮るのが好きなのか。
 さっきのことを思うに、誰かと共有した時間を思い出させる、背景を思い起こさせる力が写真にあって、そんな写真の世界に惹きこまれたから。

 写真は弟が私より先に始めていた。ほぼポートレートものばかりだったけど、彼の写真からは「楽しい」気持ちが強く伝わってきて、また写真のことを語る弟の熱のこもった顔を見るとより鮮明に写真の背景が目に浮かんだ。その感覚に興味が湧いて、写真を見ることが楽しくなった。それから様々なフォトグラファーの写真も目にするようになり、人それぞれで見えてくる背景が違うことに面白さを感じ始めた。
 感じているだけなので本当に個人的見解でしかないのだけど、写真を見つめる楽しさを知ってからというもの、本屋に行くたびに雑誌コーナーに入り浸るようになっていた。

 様々な写真を見て思った。私がしゃしんを撮ったら、どんな背景が浮かんでくるんだろう。そもそもそんな写真が撮れるのだろうか。

 残すことだけを考えていた私は、今度は表現することへ興味を持ち出した。それが本当に本当に楽しくて。もちろん自らの人間性が見えて落ち込むことも多々あるけれど、そこを越えてうっすら現れる自分の姿を掴んだらまた新たな世界が見えてくるこの繰り返しの沼にすっかりハマってしまった。

 それはもちろん今もそう。
 今、大好きな旅で大好きなカメラを持っていない私は目の前が真っ暗になった。そして情景を残し、表現する気力がスッと抜けてしまった。完全に抜け殻状態になってしまった。

 コーヒー飲んでパン食べて、一息。
 Osmoがあるし動画撮影に集中するとしますか。

 そして私はこの悔しさからずっと考えあぐねていたα7購入の決断が強くなったのでした(カートに入れた)。

※ヘッダーはお借りしました

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