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料理は「調理」だけではないから、その前段こそを語りたい

妻とのふたり暮らしで、食事を用意するのはわたしの役割だ。献立を考えたり、買い物に行ったり、調理をしたりする。そのかわりに、食器の片付けやゴミ捨ては妻がやってくれている。

いま、「食事の用意」の例として、「献立を考えたり、買い物に行ったり、調理をしたり」と書いたけれど、この表現では大雑把すぎると感じている。

献立を考えるときには、いま自宅にある食材の、それぞれに異なる賞味期限を意識する必要がある(買いすぎて芽が出てきたジャガイモのことや、冷凍した油揚げのことや、そろそろ使い切りたいベーコンのことを)。栄養バランスや好き嫌いはもちろん、作りやすさや後片付けのしやすさも気になってくる(いくら好きでも、天ぷらやコロッケは気軽に作れない)。

買い物も簡単じゃない。毎朝食べる食パンを切らさないようにすること。毎朝食べるR-1ヨーグルトは、価格が安いスーパーでまとめ買いすること。使い切るプランを検討しながら、キャベツ1玉や大根1本を買うこと。豚コマと豚バラのどちらがふさわしいのか悩み決断すること。

調理をする前の段階にも、ずいぶんいろいろなことがある。むしろ、調理の段階になればレシピ通りに作業すればいい。信頼できるレシピを忠実に実行すれば、失敗することはほとんどない。

世の中には、調理に関する情報はたくさんある。いろいろなコンセプトの料理本がある。電子レンジを活用したり、作り置きをまとめて仕込んだり、居酒屋風のアレンジをしたり、カレーをスパイスから作ったり、大きな魚を捌いたり。

調理についての情報が充実しているのは、再現性があるからだろう。調理は標準化できる。数値をつかって記述できるから伝えやすいし、再現できる。語ることで、誰かの役に立つ。誰かの情報が、わたしの役に立つ。情報はさらに豊かになっていく。これからも細分化されたり先鋭化されたりしながら、調理の情報は増え続けるだろう。

では、調理以外の情報はどうか。「献立を考えて、買い物に行く」ことは、どのくらい語られているのか。ほとんど語られていないんじゃないか。

調理と対比させれば、献立計画や食材調達には、再現性がないのだろう。家計をともにするメンバー構成はさまざまだし、アレルギーや食事療法の事情もある。庭で野菜が採れるかもしれないし、買い物は週に1度しか行けないかもしれない。料理に掛けられるコストの感覚も千差万別だ。

調理と対比すれば、「献立を考えたり、買い物で悩んだりすることを語ることは、誰かの役には立たない。誰かの語りは、わたしの役に立たない」ということになる。

そうなんだろうか。そんなことはないと、わたしは思いたい。

「この方法しかない」と思い込みながら、わたしたちは生活している。他の方法があるなんて考えたこともない。でも、ほんとうは、違う方法で生活している人たちがいる。

わたしは、いろいろな語りを聞きたいと思う。ハンバーグのタネを週末にまとめて仕込んで、平日は毎晩ハンバーグを食べている人の話を聞きたい。朝食に合わせて炊飯器をセットしている人の生活サイクルを聞きたい。スーパーで高い牛肉を買ってステーキを焼くときの気持ちを聞きたい。ミニトマトをいつも切らさない人の習慣を聞きたい。料理研究家が休日の献立を決めるときの思考を聞きたい。それはたぶん、わたしの役に立つし、あなたの役にも立つ。

どうやってたくさんの話を集めたらいいんだろう。聞き取り調査みたいなことなんだろうか。手伝っていただける方などがいらしたら教えてください。


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