13日後にやめた仕事の話

(記事中の日数は、タイトルに合わせるため、日付で表記)
話にはよく聞くものの、他人事だと何処かで笑っていたが、まさか私に降りかかるとは思わなかった。

私は、約半年の無職期間を経て、仕事をまたはじめた。
しかし、とある理由で退職することになる。

ネットの求人を見て、やりたいと思ってはじめたのは、某ホテルの清掃業だ。
某月下旬に行われた面接の翌日に採用の連絡があった。

入社の手続きや入社説明を経て、いざ初日。
教えてくれる先輩は、その職場で1番長く働いている方だった。

初日は、全体の流れを教えてくれた。その時は、普通にやさしい人だと感じた。
3日、驚愕の指示が出された。「自分でやってみて」
先輩は近くにいるものの、どう考えても無理な話だった。
渡されたマニュアルにも事前に目を通していたが、実際やってみたら駄目出しばかり。

6日、もう何度目かも分からないミスを犯した時、ある衝撃の言葉掛けられた。
「こんなことも知らないとか、常識ないの?」
普通にミスを指摘するだけなら、まだ良かった。まだ許せた。
でも、あなたの常識で世界回ってないし、人間多種多様十人十色だから、そこまで言うことはなかった。
私にも非はあるが、失態とは全く関係ないから、人格や人間性は否定しないでほしかった。しかも、面と向かって。
そのことをTwitterで呟いたら、「もうそんな所やめて良いよ」と多くの人から返ってきた。

他にも、私がIT系の専門学校を卒業していたことを話すと、「簡単そうだし、IT系の学校行ったなら、事務やった方が良かったんじゃないの?」とか、志望動機を話せば「合わないかもよ」、これでも漢検2級持ってる私に対して「この字、読める?」と人を馬鹿にした言動に、全部嫌みに聞こえ、凄く不快になり、落ち込み、元々、私のいわゆる豆腐メンタルがずったずたにえぐられていった。
教え方にも問題あるけど、こっちは覚えるのに時間掛かっても教わりに来てるんだし、そんなつもりなくてもそう受け取ってしまうから、人を侮辱したり中傷するのはもっと駄目だと思った。

起床時、これから仕事とか起きた時に現実疑ったのは前職にも何度かあったが、朝ご飯を残したり、仕事中に口の中が苦くなったりと次第に今までなかった異変や不快感が起き続けていた。

何かちょっとでも褒められることなかったのか?
わりと動けたと思えた時があったのだが、少しでも良いから褒めてほしかった。それだけでも充分なモチベーションになったのに。
そもそも、やる気があるってスムーズに事をこなせないと意味ないの?
やる気ってどうやって出すの?
一生懸命さがあっても誰も評価されないの?言っても口だけと思われるの?
私は、厳しくするだけが育成じゃないと仕事に対する意欲のような物に疑問が生じた。

とにかく、新人に求めるハードルや理想が高すぎると確かに感じていた。

甘えではなく、1ヶ月でそんなポンと急に覚えられる訳ないのに、1週間未満で全部の流れを出来なきゃいけないとか無理な話だと思う。
赤ん坊だって生まれてすぐ歩ける訳ないし、植物も種植えてすぐ花咲かないし、野菜や果物も実は付かない。
ゲーム、スポーツ、車の運転等も完全初心者が数日で完璧に出来るようになる訳がない。
新人育成もそれと同じで、色んな人がいるし、能力や成長度合に応じて、時間を掛けて育てていくべきではないかと思う。
かと言って、新人も出来るだけの努力はする。
9日以降の話だが、「上(面接官)はただ採用しただけ、私達は覚えが早い人しか求めてない」と聞いて、覚えが遅い(のにそれなりの努力はしてた)私に存在価値はないと感じた。

一緒に働いていくうち、その先輩は、結構な完璧主義者だと感じた。
仮に続けられるようになっても、人格とか人間性やら志望動機を否定して、完璧主義すぎて0と100しかないし、罵倒ばかりで少しも褒めず、行動1つしようとするだけで自信をなくさせるような新人育成する人とは一緒に働きたくないという思いが芽生えた。

心身ともに辛さやしんどさが増し、ちょちょっと泣いた時があったのだが、帰れと言われ、無慈悲だと感じた(次、言ったらマジで帰ろうと思ったが、それは来なかった)ことを呟いたら、某フォロワー様から「やりたいことがあって凄く環境が良い所なら分からないが、そこで何も見出せず嫌な思いしかしなかったら無理して居続ける必要ない」という返信が来た。

「やりたいこと」と言われ、すぐに彼女のことが頭に浮かんだ。
いつか(このまま行けば)その彼女と一緒に暮らすという夢を抱いていると以前の記事に書いたが、「2人だけで」「快適な」暮らしを「1から」作ることにもつながる。
さらに老後も考えると、汚い話になるが、多くの金額が必要になるし、このままではいけない(ここにいる場合ではない)し、「(向こうはそう思ってないとしても)彼女にとって隣にいて恥ずかしくない彼女になりたい」という想いが強くなった。

8日、就職支援のスタッフ様とZoomを使った面談で今まであったことを全て話し、その前に書ける所だけ鉛筆で下書きしてた履歴書をちらっと見せたら、「早いな笑」と少し笑われた。
「やめても良いけど、どうせ辞めるなら、開き直って1日1日を越えてみたら?」という返答に、私の気分は、少しだけ軽くなった。

9日頃から、め組のYOLOを聴いて、涙を流しながら出勤し、帰りは近くのコンビニでぼんやりしつつ、退職を本格的に考えるようになった(リンクは以前の記事)。
「天職」ではないが、20代の今は、「自分に合う職を見つける旅」のような物と感じているものの、また道を間違えてしまったようだ。しかも今回は盛大に。
来るべき所は、ここでもなかったようだ。

「何か聞きたいことがあったら、他の子(従業員)じゃなく私に聞いて?」
10日の仕事終わり、私は、先輩が発したその言葉に耳を疑った。
他の人に聞くなってこと?人を蔑むような人に?
脳裏に「支配」という言葉が浮かんだ。
この日の帰り、着てた制服とそのスペア、使ってた道具とロッカーに入ってた物全部持って帰ってきたが、怪しまれるので、中で使ってた上履きだけは残しておいた(ホントはロッカーに貼ってある名前のラベルも剥がしたかった)。

11日は休みで、前述した就職支援のスタッフ様に電話を掛けた。
もう精神的に限界だった。何話そうか全く考えてなかったが、とにかくやめる意志は変わらないことを伝え、何とかして辛さ、苦しさを吐き出したかった。
私は退職理由の円満な伝え方について調べていた(そのせいか、頭痛を起こして少し寝込んだ、薬を飲んで治した)。
絶対近いうちに伝えないと、この地獄から抜け出せない……そんな黒い感情が脳内を渦巻いていた。
母は、あっさりと「やめれば?」と言ったものの「今のあんたの性格は変えなきゃダメ、もっと人と関われ」とか諸々言われ、言い当てられすぎて、流石は親だなと思った。

そして13日、面談があったので、退職を伝え、手続きも終えた(とはいえ、書類不備があったので、また行かなきゃいけないという)。
私はまた「自分に合う職を見つける旅」に出て、幸運にも採用(内定)になったら、また頑張って、いつか彼女との夢を実現する。
職がなくなって落ち込むどころか、地獄から抜け出して、気分は爽快すぎるほど晴れやかだった。