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危機感をあおるだけでは人の行動は促されない、本当の理由

会社員時代にはもともと優秀なプレーヤーだった上司や同僚が、周囲に対してがんがん危機感をあおりまくっているのを「またあんまり意味がないことを・・・」と横目で冷ややかに見ていたmomomiです。こんにちは。

今日は危機感をあおるだけでは人の行動を促すには十分ではない、と私が考える理由について書いてみたいと思います。

もちろん、危機感をあおることには大事な意味があります。
だっていつまでもぬるま湯につかっていたらゆでガエルになっちゃう。
でも、危機感だけで動ける人ばかりじゃないのは、誰もが実感しているのではないでしょうか。

論理的に考えるだけでみんな動けたら、この世はもっと楽勝な気がします。
特に中間管理職の方は一気に楽になるんじゃないでしょうか。
論理だけでは人は動けない、遠い昔からずーっとずっと繰り返し語られてきたこの件に関して、自分の考えをまとめます。


危機感をあおるだけでは人の行動は促されない、本当の理由

私は昨年まで、外資系大手製薬企業でマネージャーをしていました。
その仕事のキャリアは9割5分くらい子どもを産んでから作ったものだったので管理職の登用はそこまで早くはなかったし(時短勤務がおそらく影響)、一方で、比較的マネージャーの平均年齢が高い会社だった割にはマネージャーへの昇格は早い方でした。
登用された理由は、私が人の育成が得意だったからです。

所謂2:6:2の法則(パレートの法則、優秀な上位が2割、平均的な中位の人が6割、下位2割)でいうところの平均的な中位の下の方(もしかすると下位に落ちそうな人)を救い上げて、上位2割に近づけるのが特に得意だったので、組織からは重宝されました。私が拾い上げた人で、のちに上位2割に食い込んだメンバーもいます。

人を育てることは一般的に女性のほうが得意と言われますが、その点についても触れてみたいと思います。

心理的安全性がないと人は動けない

日本でも2、3年前に話題になった心理的安全性、私はやっぱりこれが失敗しても行動しても良い、と思うベースラインになっていると思います。
たまに心理的安全性について誤解されている方がいらっしゃるので、ぜひエイミー・C・エドモンドソンの本家本元の本を読んでくださいね。

ただ単に、ぬるーく行こうぜ、というのとは全く違います。
どちらかと言えば、失敗やミスをつまびらかにして次への対策がすぐに打てるような、徹底的にファクトに基づいた透明性のある(そしてそれが心理的に脅威ではない)環境を作るためにどうしたらよいか、について書かれている本です。

安全・安心な環境で、できる感覚(自己効力感)があれば動ける

ただ心理的安全性があれば動けるのか、そういうわけでもない、と私は思います。やっぱり自分ができる、と思わないと人は動けないんじゃないかと思うからです。

ごく稀に、できるかできないかわからないけれどやってみる!ということが得意な方がいらっしゃいます。たとえ上手くいかなかったとしても、感情に流されず、次から次に目的達成のための行動に移れるタイプ。
話がそれますが、こういう人が大きな組織の上層部には多いので、上に行けば行くほどサイコパスみたいな人が増えるような気がします。

でも当たり前のことですが、大半の人はサイコパスではありません。
失敗したら傷つくし、痛い。

そんな中で私だってできる!感覚(要するに自己効力感)を育むためには、結局一番いいのはたくさんやってみることだと思います。
必要なのは、失敗を事実と感情に分けて淡々と受け取れるようになること。
事実から学べるように、周りがサポートすること。傷口に塩を塗らない。

サイコパス系の人は痛みを感じにくい人が多いので(本人はいやそんなことはない、痛みは感じるって言いますけどね)、無意識に塩を塗り込んで感情的に貶めているのを時々見かけます。
余計なことをやらないだけで、人の成長は加速します。
すぐに気づいてやめましょう。

比較的古い脳(大脳辺縁系)に支配されると、人は考えられなくなる

失敗したとき、人から恥をかかされたとき、過剰な危機感をあおられて動けなくなってしまったとき、脳の古い部分(大脳辺縁系)が反応します。

外敵から身を守るために発達してきた、大脳辺縁系

私たちの大脳は、長い長い年月をかけて、生き延びるために進化してきました。そんなわけで、こんなに死ににくくなり、飢えも知らずに生きている現代でも、私たちの古代の脳はちゃんと搭載されています。

私たちが危機にさらされていると認識したとき(実際に危機に直面しているかどうかではなく、晒されていると認識する、がポイント)、反射的に下記の反応が起こります。

   Freeze(固まる)- Flight(逃げる)- Fight(戦う)

こうなるともう、もっと考えろ!といってもダメです。新しい脳(大脳皮質)は古い脳には勝てません。
そもそも言葉が届かない、その場しのぎで逃げる行動をとる、感情的に反論してくる・・・などなど。

人によって反応は様々ですが、このモードに入れないことが人の育成においては大事だと思います。特に、大人になると人は大なり小なりトラウマがあるので、通常はそこを触らないことは人として尊重するために大事かと。
(必要とされる場面で意図的に取り扱うのは別の話です。)

安心の気を出すのはお母さんの仕事としての中核部分

子どもが小さいとき、お母さんの存在を振り返って確認してからハイハイして前に進む、「ママ、ちゃんとみててね~」と言ってから滑り台を滑る。
そんな光景をよく目にしますよね。

科学的ではないですが、お母さんが見ているだけで安心感を感じる。
なんとなく大丈夫な気がする。
新しいチャレンジをしてみようと思う。

別にお父さんだっていいのですが、これは女性は本能的にやっていることが多いような気がしています。
私は比較的ダメなママな気がしますが、お母さんとして一番大事にしていることは子どもに大丈夫だよ、と五感で伝えることだと思っています。

そしてどんな大人も昔々は小さな子供だったわけで、職場でも意図的に安心の気を出していることがあります。特に研修や事例について振り返る場所。
意図的に緩んでこの気配を出すと、学びの場には有効だと感じています。
科学的にうまく話せないのですが。

番外編: 外見で油断してもらうことは、いざというときの一言を効果的に言うために超重要

きつくて怖そうな女子の話って、聞きたいですか?
私はキツそうな人が正直苦手です。私失敗しません!みたいなタイプとか。
見るからに私仕事できるんで!というタイプとか。

個人的な趣味もあるかと思いますが、髪はセミロングで、時には花柄のワンピースとか着ちゃうタイプです。あんまり女性誌のOLさんみたいな恰好は恐れおののいてできないですが、女子っぽい見た目は心掛けています。

それは多少低く見積もられたとしても、いざというときにいつでもバッサリ自分の意見を言えるようにしておきたいからです。
「危機感をあおらない」と言っても、必要な場面でひとこと言って崖から突き落とすことが大事なことはやっぱりあります。

ときに日本刀のようにバッサリ斬る、と言われることもあって、なんとなく私は女子としてみられた方が仕事をする上ではお得感があります。
そのおかげで舐められたことももちろんありますが、失敗したくない時はちゃんとスーツを着たり、それなりに見えるようにしています。


以上、私が危機感をあおるだけでは人の行動は促されないと考える理由と人を育てるコツについてまとめてみました。
どなたかのご参考になれば幸いです。

今日も良い一日を!
読んでくださってありがとうございました。

参考:


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