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繊細な(敏感な)ひとが、成長を続けられる理由 動揺しやすいことを逆手に取る

一時から急に市民権を得るようになった繊細な(敏感な)ひとたち。
エレイン・アーロン博士によって提唱された、高敏感性(高感受性)に関する研究から生まれた概念で、賛否両論あるのは知っているが、個人的には子どもを持つ親として無視できない理論だなと思っている。

あくまで正常の範囲で疾患ではないので、診断基準もなければ治療の対象ではない。
そして必ずブームというのは光と闇を併せ持つので、正確な情報とそうではない情報が入り乱れ、過剰に該当者が現れるような気がするが、この記事は理論の成否を議論するものではないことをご了承いただきたい。
ただ一人の母親として、個人的に考察してみた内容を書き記しておきたいだけである。

エレイン・アーロン博士によると、高敏感性(高感受性)の人は下の特徴を持つと言われる。ちなみに全人口の約20%と言われるが、動物の中にもだいたい20%くらい高敏感性の個体はいることが知られている。

Depth of processing:情報を深く処理する 
Overstimulated:易刺激性
Emotionally reactive and high Empathy:感情反応が強く、共感性が高い
Sensitivity to Subtleties:些細なことに良く気づく

HSPの特徴:DOESについて

傷つきやすい、とか生きづらさを抱えやすいといったネガティブなイメージでばかり取り上げられがちな高敏感性だが、良い環境や上手く特性を活かせば才能という形で伸ばしていくことは十分可能である。
そして成長をし続ける、もしくは成長をサポートするという点において、この特性は使えるんだろうと思う。

ときどき拝見しているshinshinoharaさんの記事で『どうしたら子どもは本を読むようになる?』という記事がある。
この中に着眼点を示すことの大切さ、驚くことの偉大さ、観察の重要性について触れられているが、たぶんこういうことは高敏感性の特質を持つ人が良い状態で関われば、比較的容易いような気がする。

では、子どもが観察するようになるにはどうしたらよいのか?「着眼点」を示すことだと思う。子どもが興味を持って眺めていたら、花の真ん中に触れてみて「わ!黄色い粉がついたよ!なんだこれ?」と、着眼点だけ示して、子どもにあれこれ教えないようにする。

「根っこはどうなっているんだろう?」と「着眼点」を示したら、子どもは掘ってみたくなるかもしれない。掘る過程で、土は思ったより硬いと感じたり、タンポポの根が思いのほか深く根付いていることに驚かされることになるだろう。親は、子どもの発見に「ほう、ほう」と感心していればよいように思う。

『どうしたら子どもは本を読むようになる?』より

ささいなことに気づき、子どもと一緒に驚き、喜ぶことができる。
そう、大人になってからも、子どものような心で感動したり、動揺することが比較的に容易にできるのである。当然慣れはある。
それでも、そうでない人に比べたら、感情が動く絶対量や頻度が多いのだ。

そして、たぶん、動揺しやすいことと同義だろうが、感情が揺れやすいということはそれだけ学習する機会が多いということなんだろう。
それは一生を通じて、成長し続けることができることにつながるのではないだろうか。

子どもたちを見ていて、また学生時代や社会人になってから関わってきた友人・知人・上司部下を含め、大小含めれれば才能のある人なんて五万といるのだ。
でも、成長していける人とそうでないひとというのは、どこかで明確に分かれる。残酷なほどにそうだ。

自分の才能を伸ばし続けられる人なんて、よっぽど条件が揃わない限り難しい。どこかで満足したり、諦めたりするのがほとんどだ。別にそれも悪いことではないのだけど。

一つには、そもそも『気づかない』ということ、『自分事として動揺しない』ことが成長を止めてしまうように思う。
(動揺しても感動して終わってしまう人については、また別の機会に考察してみたい)

高敏感性ゆえに、情報量が多くノイズが多いこの社会で疲れ切ってしまわないように調節したり、メルトダウンしてしまったときは十分に休めるように配慮することは絶対に必要だが、でも上手く敏感性と付き合っていけばセンス・オブ・ワンダーを働かせて学び続けることができるのではないか。
子どもから教わり、センス・オブ・ワンダーを磨くこともできるのではないか。

なんだかそんなことを、つらつらと考えていた。

参考記事:

読んでくださってありがとうございます。


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